「もう一度、あの頃に戻りたい」と言う人がいる。私はそんな風に思ったことは一度もない。確かに辛かったこともあるし、苦しかったこともあるが、その時は「死ぬことができればいいのに」と思ったけれど、「もう一度、あの頃に戻ってやり直したい」と思ったことはない。おそらく、やり直すだけの力が自分にはないと思っているからだ。それに、やり直すということはこれまで以上にエネルギーを必要とするだろう。
怠け者の私は、せっかくここまで生きてきて、今は最高に幸せなのかもしれないのに、またやり直すの?と思ってしまう。自分でそう書いていてすぐにわかった。やり直して、今以下の人生を歩むことはできても、今以上の人生を送る自信が私にはない。高校1年の時に母親が亡くなり、高校3年の時には父親が亡くなり、普通の人なら途方に暮れるのに、「これで自分は自由になった。東京へ行って映画の仕事をしよう。高卒では相手にしてくれないなら、そうだストリップの看板を描いて、ストリップの演出をやろう」などと思っていた。
それも、兄から「入学金は出してやるから大学へいけ」と言われて、コロリと変えてしまった。何にでもなれるように思っていたし、努力をしなければ難関が突破できないとは全く考えていなかった。スタンダールの小説『赤と黒』のように、美しい女性が現れ、自分を必ず引き上げてくれると夢見ていた。大学を選んだのも、大学で新聞部に在籍し先鋭化していったのも、人から強制されたことは何もない。私が自分で決めたことだ。やり直すことは出来ないという思いの中には、自分が選んできた人生だから自分に責任があるのに、これを否定できないという気持ちが強い。
普通に大学へ行き、普通に先生になり、大学時代から恋しく思っていた人と普通に結婚し、普通に子どもに恵まれた。ところが内ゲバで滅多打ちに遭い、死線をさまよい、何と馬鹿馬鹿しいことかと思った。人を殺して幸せな世界を創れると信じている連中がいるような世界にはいられない。教師をやめた。ここからは普通の人としてはもう生きることはできなかった。自分で生きるしかなかったから、小さな地域新聞を発行できるところまでこぎつけた。
いろんなことがあったけれど、たくさんの人との出会いがあり、たくさんの人々に助けられて、歯を食い縛るというよりも、楽しんで仕事をしてきた。「もう終りだ」という時は何度もあったのに、売り上げは毎年伸びて、他人が見れば順風満杯であった。仕事の範囲も広がり、信頼度もどんどん大きくなった。自分の力と言うよりも、出会った人がいつも自分を引き立ててくれた。私はつくづく本当によい人に出会う運命にあると思う。
だから私には「もう一度、あの頃に戻りたい」という思いがないのだ。それによく人は「自分が生きてきた痕跡を残しておきたい」と言うけれど、私は全くそう思わない。自分の人生など恥ずかしくて人には自慢できないし、何よりも生まれてきた時も一人なら死ぬ時も一人でいい。人は死んでしまえば、すぐに忘れられる。それでいいのだ。死んでしまった人のことなど、覚えている人が時々思い出す程度のことなのだ。だから痕跡などない方がいい。残された者が処理に困るようなことはしない方が懸命だと思っている。
怠け者の私は、せっかくここまで生きてきて、今は最高に幸せなのかもしれないのに、またやり直すの?と思ってしまう。自分でそう書いていてすぐにわかった。やり直して、今以下の人生を歩むことはできても、今以上の人生を送る自信が私にはない。高校1年の時に母親が亡くなり、高校3年の時には父親が亡くなり、普通の人なら途方に暮れるのに、「これで自分は自由になった。東京へ行って映画の仕事をしよう。高卒では相手にしてくれないなら、そうだストリップの看板を描いて、ストリップの演出をやろう」などと思っていた。
それも、兄から「入学金は出してやるから大学へいけ」と言われて、コロリと変えてしまった。何にでもなれるように思っていたし、努力をしなければ難関が突破できないとは全く考えていなかった。スタンダールの小説『赤と黒』のように、美しい女性が現れ、自分を必ず引き上げてくれると夢見ていた。大学を選んだのも、大学で新聞部に在籍し先鋭化していったのも、人から強制されたことは何もない。私が自分で決めたことだ。やり直すことは出来ないという思いの中には、自分が選んできた人生だから自分に責任があるのに、これを否定できないという気持ちが強い。
普通に大学へ行き、普通に先生になり、大学時代から恋しく思っていた人と普通に結婚し、普通に子どもに恵まれた。ところが内ゲバで滅多打ちに遭い、死線をさまよい、何と馬鹿馬鹿しいことかと思った。人を殺して幸せな世界を創れると信じている連中がいるような世界にはいられない。教師をやめた。ここからは普通の人としてはもう生きることはできなかった。自分で生きるしかなかったから、小さな地域新聞を発行できるところまでこぎつけた。
いろんなことがあったけれど、たくさんの人との出会いがあり、たくさんの人々に助けられて、歯を食い縛るというよりも、楽しんで仕事をしてきた。「もう終りだ」という時は何度もあったのに、売り上げは毎年伸びて、他人が見れば順風満杯であった。仕事の範囲も広がり、信頼度もどんどん大きくなった。自分の力と言うよりも、出会った人がいつも自分を引き立ててくれた。私はつくづく本当によい人に出会う運命にあると思う。
だから私には「もう一度、あの頃に戻りたい」という思いがないのだ。それによく人は「自分が生きてきた痕跡を残しておきたい」と言うけれど、私は全くそう思わない。自分の人生など恥ずかしくて人には自慢できないし、何よりも生まれてきた時も一人なら死ぬ時も一人でいい。人は死んでしまえば、すぐに忘れられる。それでいいのだ。死んでしまった人のことなど、覚えている人が時々思い出す程度のことなのだ。だから痕跡などない方がいい。残された者が処理に困るようなことはしない方が懸命だと思っている。