goo

チューリップは美しい!

2016年05月06日 | O60→70(オーバー70歳)
先月下旬、横浜市関内エリアでは、チューリップがまだ咲いていました。開ききって散りそうなものも味わいがあります。
ちょうど見頃のチューリップもありました。これだけ数が多いと、嫌が応にも目を奪われますね。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

抜き書き帳『正岡子規』(その12)

2016年05月06日 | O60→70(オーバー70歳)
【236~237ページ】
----黒田如水などという豪傑さえも、やはり死ぬる前にはひどく家来を叱りつけたといことがある。その家来を叱ることについて如水自身の言いわけがあるが、その言いわけはもとより当になったものではない。畢竟は苦しまぎれの小言と見るのが穏当であろう。陸奥福堂も死際にはしきりに細君を叱ったそうだし、高橋自恃居士(じじこじ)も同じことだったというし、してみると苦しい時の八つ当りに家族の者をしかりつけるなどは余一人ではないと見える。

【238ページ】
◯余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事はいかなる場合でも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事はいかなる場合にも平気で生きて居る事であった。

[ken] 最初の抜き書きは、一見して「居直り」とも読めますが、正岡子規さんの「身内に対する言い訳と謝罪」をかねた文章でしょう。とはいうものの、次回の抜き書きでは母と妹に対する不平不満が噴出し、それが「日本における女子教育の必要性」にまで発展するに及び、「苦しい時の八つ当たり」を正直に吐露した名文になっています。
さて、私は自分を何の疑いもない愛情で可愛がってくれた祖母、そして今も天上から甘えん坊でわがままだった末っ子の私を心配そうに見守ってくれている母の臨終には立ち会えず、親族の「死に目に会う」ということでは89歳で他界した父だけです。私の親族は、64歳で他界した義父を含め、本書にあるような「苦しい時の八つ当りに家族の者をしかりつける」ことはほとんどなく、とても我慢強い人たちでした。
それに比べて、私は昨年の入院時に少しだけですが、カミさんにわがままを言ってしまいました。入院や療養がもっと長引いたならば、ひどい醜態を見せたものと想像できます。本書を読み、今後はそんなことがないようにしたいものだと思いました。
238ページの「悟り」については、死に対する心構えではなく、生に対する「いかなる場合にも平気で生きて居る」姿勢だと知りました。でも、それは誠に至難の技といえますね。(つづく)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

日々、ゴルフクラブを握る!

2016年05月06日 | O60→70(オーバー70歳)
▼私の場合、毎日のようにというのは、ゴルフの素振りですが、いろいろと得るところはあり、最近では右手の使い方について、とても良い感触になってきました。極端に、左手は添えるだけで右肘リードを意識しています。もちろん、体重移動と連動させ、無駄に左手でスィングにブレーキをかけないように、強く振りにいかないよう気をつけています。
▼ボールはクラブが飛ばしてくれる、と頭では理解していても、身体うらはら、目の前にボールがあると、頭が動き上体主導で打ちにいってしまうのです。プロゴルフのトーナメントでは、女子ツアーが参考になりますね。ゆっくりクラブを振っても、ちゃんと飛距離は出ています。大いに参考にして、これからも練習に励みたいと思います。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )