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大玉村出身の野内与吉さん!

2016年05月16日 | O60→70(オーバー70歳)
▼5月9日、テレビ東京『未来世紀 ジパング』は「天空の遺跡との絆、日系人沸騰のペルー」でした。マチュピチュ初代村長をつとめた福島県安達郡大玉村出身の野内与吉さんが、半世紀ぶりに来日したときの様子は、私も子どもながらかすかな記憶があります。大玉村は、私が生まれ育った町と遠くないことから、父や近所の人たちも大層喜んでいたのです。しかし、大人になってからまったく失念していて、友人たちとマチュピチュの話題になった時なども、野内さんのことはスルーしていました。というわけで、マチュピチュの唯一の姉妹都市「大玉村」のことは、しっかりと記憶にとどめることができました。
▼1964年当時のドル円は1ドル360円の固定相場でしたが、待望された海外旅行の自由化 された年です。1970年代早々、初代マチュピチュ村長をつとめた野内与吉さんは半世紀ぶりに故郷の大玉村を訪れ、大歓迎を受けました。そもそも、1886年の明治維新以降、3300万人にまで人口が急増し、政府は移民政策を積極的にすすめました。その結果、現在の日系人は350万人をブラジルを筆頭に、160万人のアメリカ(ハワイなど)、そしてペルーにも10万人の日系人が暮らしています。
▼また、池上彰さんの解説で「勝ち組と負け組」という言葉は、終戦直後に日系移民たちの間で起こった論争に由来するそうです。ハワイの日系移民は、当然のことですが「日本はアメリカに負けた」(負け組)と主張し、一方の南米日系移民は「日本はアメリカに負けるはずがない」(勝ち組)と主張したわけですね。その後、日本の負けで論争は落ち着いたのですが、渡航自由化で日本を訪れた勝ち組の日系移民たちは、戦後復興を遂げた母国を見て、「やっぱり日本はアメリカに勝っていた」と言った、という嘘みたいな本当の話があるのですね。
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抜き書き帳『正岡子規』(その22)

2016年05月16日 | O60→70(オーバー70歳)
【434ページ】《短歌》明治31年
(ベースボールの歌)抜粋
・久方のアメリカ人(びと)のはじめしベースボールは見れど飽かぬかも
・九つの人九つの場を占めてベースボールの始まらんとす
・打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来たる人の手の中に
・打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする
・今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな

【436ページ】
(病床の夢)抜粋
・うれしくも登りし富士のいたゞきに足わなゝきて夢さめんとす
・昔見し須磨の松原思へども夢にも見えず須磨の松原
・亡き友とありし昔をかたらひて泣かんとすれば夢さめにけり
・おそろしきものは小道のきはまりてあとより牛の追ひせまる夢
・われ昔学びのわざのにぶくして叱られしことぞ夢に見えつる

[ken] 上野公園内を散歩していたら、正岡子規記念球場前に出て「俳句と野球って関係あるのか?」と驚いた記憶があります。少し調べたら、正岡子規さんは明治初期に野球が日本へ紹介された頃、選手(ポジションは捕手)として野球を楽しんでいたと知りました。
その後、野球を題材とした俳句や短歌・小説・随筆を発表しており、434ページと436ページは正岡子規さんの短歌の抜き書きです。また、文学を通じて野球の普及に貢献した上に、数々の野球用語を日本語(「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」など)に訳したことから、正岡子規さんのは2002(平成14)年、野球殿堂入りを果たしています。さらに、上野恩賜公園開園式典130周年を記念し、2006(平成18)年7月21日には、上野恩賜公園野球場で句碑(まり投げて 見たき広場や 春の草)の除幕式と正岡子規記念球場の愛称が披露されました。
436ページは「病床の夢(短歌集)」の抜粋ですが、昨年末の入院時に、私は久しぶりにたくさんの夢をみました。手に取るような場面や物事が目の前に現れ、ひょっとして悪い病気なのではないかと思いました。でも、その夢は物心ついた頃から少年・青年時代に見た夢とは異なり、恐怖や不安はなく穏やかで美しくさえありました。少年のとき、私を悩ませたのは「地下深く迷い込み、モグラのように進んでいく先は狭くなり、いつまでたっても地上に出られない夢」でした。そして青年時代には一転して「不安定な高所で足がすくみ、ついには恐怖に襲われながら落下していく」夢が多かったと記憶しています。正岡子規さんの「われ昔学びのわざのにぶくして叱られしことぞ夢に見えつる」と共通する夢も見ました。それは、大学を試験が通らず2年留年したことに起因する夢で、「あ~っ、また落第かぁ~」という切ないものでした。しかし、いつしかこれら二つの夢を見なくなったのはどうしてなのか、まったく見当がつきません。夢とは不思議なものですね。(つづく)
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えっ、岡本太郎なの?〈英訳付〉

2016年05月16日 | 気ままな横浜ライフ
▼GWは安近短ですませました。横浜そごう屋上のビアガーデンは、「太陽の広場」の中にありました。岡本太郎さんの「太陽の塔」に似た塔が目に入り、私は「なんでこんなウソくさい物を作るのかなあ~」と怒りさえ覚え、スマホで撮っておきました。
▼翌日になって、検索してみたら岡本太郎さんの「3つの顔を持つ太陽」という本物の作品でした。1985年のそごう横浜店開店を記念して制作されたとのことです。私の眼力のなさと無知が、いやはやお恥ずかしい限りです。

Golden Week was "cheap, close, and short".
The beer garden on the rooftop of Yokohama Sogo was in the "Taiyo no Hiroba".
When I saw a tower that looked like Taro Okamoto's "Tower of the Sun," I was so angry that I wondered, "Why would they make such a fake thing?"
The next day, when I searched for it, it turned out to be a real work by Taro Okamoto called "The Sun with Three Faces". It was created to commemorate the opening of the Sogo Yokohama store in 1985.
I am ashamed of my poor eyesight and ignorance.



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