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【434ページ】《短歌》明治31年
(ベースボールの歌)抜粋
・久方のアメリカ人(びと)のはじめしベースボールは見れど飽かぬかも
・九つの人九つの場を占めてベースボールの始まらんとす
・打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来たる人の手の中に
・打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする
・今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな
【436ページ】
(病床の夢)抜粋
・うれしくも登りし富士のいたゞきに足わなゝきて夢さめんとす
・昔見し須磨の松原思へども夢にも見えず須磨の松原
・亡き友とありし昔をかたらひて泣かんとすれば夢さめにけり
・おそろしきものは小道のきはまりてあとより牛の追ひせまる夢
・われ昔学びのわざのにぶくして叱られしことぞ夢に見えつる
[ken] 上野公園内を散歩していたら、正岡子規記念球場前に出て「俳句と野球って関係あるのか?」と驚いた記憶があります。少し調べたら、正岡子規さんは明治初期に野球が日本へ紹介された頃、選手(ポジションは捕手)として野球を楽しんでいたと知りました。
その後、野球を題材とした俳句や短歌・小説・随筆を発表しており、434ページと436ページは正岡子規さんの短歌の抜き書きです。また、文学を通じて野球の普及に貢献した上に、数々の野球用語を日本語(「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」など)に訳したことから、正岡子規さんのは2002(平成14)年、野球殿堂入りを果たしています。さらに、上野恩賜公園開園式典130周年を記念し、2006(平成18)年7月21日には、上野恩賜公園野球場で句碑(まり投げて 見たき広場や 春の草)の除幕式と正岡子規記念球場の愛称が披露されました。
436ページは「病床の夢(短歌集)」の抜粋ですが、昨年末の入院時に、私は久しぶりにたくさんの夢をみました。手に取るような場面や物事が目の前に現れ、ひょっとして悪い病気なのではないかと思いました。でも、その夢は物心ついた頃から少年・青年時代に見た夢とは異なり、恐怖や不安はなく穏やかで美しくさえありました。少年のとき、私を悩ませたのは「地下深く迷い込み、モグラのように進んでいく先は狭くなり、いつまでたっても地上に出られない夢」でした。そして青年時代には一転して「不安定な高所で足がすくみ、ついには恐怖に襲われながら落下していく」夢が多かったと記憶しています。正岡子規さんの「われ昔学びのわざのにぶくして叱られしことぞ夢に見えつる」と共通する夢も見ました。それは、大学を試験が通らず2年留年したことに起因する夢で、「あ~っ、また落第かぁ~」という切ないものでした。しかし、いつしかこれら二つの夢を見なくなったのはどうしてなのか、まったく見当がつきません。夢とは不思議なものですね。(つづく)