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【177ページ】
あのへんからはじまったのだと思う。懸垂が何回もあがらないと、芋のようにぶらさがっているだけになった。鉄棒の尻上がりが、気に染まないと、やらない。教師が何もいわなくなったのをいいことに、嫌なものを避けた。すると学科を充実させることも無意味に思われる。欠落した部分ができてしまえば、そこが綻びになってどんどん糸がほつれる。でんぐりがえしができなければ完全な人間になることはできない。では、不完全な人間という範疇でどうにか生きていくほかはない。当時、そうしたことをぼんやり考えた。小学校でもそうだったが、中学ではそういう気持ちがいっそう根強くなり、私は最初から、教室での自分を捨てていた。そのくせ、不完全な自分の生きかたというものを具体的に掴みえなかったので、学校を離れてどこかに船出するわけにはいかない。
[ken] 少年時代のことを、これほどまで明確に書けるのは、心身の強靭な力がないとできる技ではないと思いました。私は63歳になってもなお、少年期の恥ずかしい記憶や、やるせない気持ち、淋しさなどがフーッと浮かんでくることがあります。でも、けっこう辛いらしく「思考停止」に陥ります。逃げているというより、ここのバランスを崩さないための自己防衛だと考えるようにしています。それに比べて、色川武大さんの執念と自分の現実に斬りこようなリアリズムに脱帽です。(つづく)
あのへんからはじまったのだと思う。懸垂が何回もあがらないと、芋のようにぶらさがっているだけになった。鉄棒の尻上がりが、気に染まないと、やらない。教師が何もいわなくなったのをいいことに、嫌なものを避けた。すると学科を充実させることも無意味に思われる。欠落した部分ができてしまえば、そこが綻びになってどんどん糸がほつれる。でんぐりがえしができなければ完全な人間になることはできない。では、不完全な人間という範疇でどうにか生きていくほかはない。当時、そうしたことをぼんやり考えた。小学校でもそうだったが、中学ではそういう気持ちがいっそう根強くなり、私は最初から、教室での自分を捨てていた。そのくせ、不完全な自分の生きかたというものを具体的に掴みえなかったので、学校を離れてどこかに船出するわけにはいかない。
[ken] 少年時代のことを、これほどまで明確に書けるのは、心身の強靭な力がないとできる技ではないと思いました。私は63歳になってもなお、少年期の恥ずかしい記憶や、やるせない気持ち、淋しさなどがフーッと浮かんでくることがあります。でも、けっこう辛いらしく「思考停止」に陥ります。逃げているというより、ここのバランスを崩さないための自己防衛だと考えるようにしています。それに比べて、色川武大さんの執念と自分の現実に斬りこようなリアリズムに脱帽です。(つづく)