【230ページ】《病状六尺 抄》(明治35年5月~9月)
さればにや人麻呂をもまたかくのごとき人ならむと己(おのれ)に引き合わせて想像したるなるべし。人間はどこまでも自己を標準として他に及ぼすものか。
【235~236ページ】
そこで自分の見た事のないもので、ちょっと見たいと思う物を挙げると
一、活動写真
一、自転車の競争及び曲乗
一、動物園の獅子及び駝鳥
一、浅草水族館
一、浅草花屋敷の狒々(ひひ)及び獺(かわうそ)
一、見附の取除けの跡
一、丸の内の楠公の像
一、自働電話及び紅色郵便箱
一、ビアホール
一、女剣舞及び洋式演劇
一、蝦茶袴(えびちゃばかま)の運動会
など数うるに暇が無い。
[ken] 230ページで、人の認識や意見は結局のところ「当人を基準にしたものに過ぎない」と述べられています。それは、幾多の先人たちの言葉を引用したり、諸文献から借用したりしても、それを選択した当人の考え方に基づいているということですね。心理学においても「人は自然に自分の好きなものに反応し、それを選んでいる」との説もあり、私自身を冷静に振り返ったとき「なるほど!」と得心させられました。だからと言うわけではないですが、私は「あの時こうすれば良かった」とか、「何という浅はかな選択をしたのだろう」とか、わが身をせめて後悔することより、それが定められた道だったという「運命論者」的な納得の仕方をしてきました。言葉を換えれば、何はともあれ自分で選んだことなのですからね。
235~236ページにある正岡子規さんの「ちょっと見たいと思う物」については、抜き書きしながら心が痛みました。それにしても、浅草に水族館があったことは知りませんでした。また、「丸の内の楠公の像」が明治時代に建てられこともわかりました。楠正成の像は、私が詩吟を習うようになってから場所を調べて出かけ、その後も皇居散策ときには立ち寄るようにしています。それでなければ、そばを通っても絶対に何の像やら分からず、楠公とは天皇に殉じた武士で戦前の教科書にも載り、いわば「戦前の軍国主義に利用された人物」であるといった認識で終わっていたでしょう。
それから、郵便ポストはずっと「紅色郵便箱」ではなかったことも分かりました。日本の郵便制度初期は、ポストの色が赤色ではなく黒色だったそうです。しかし、「郵便箱」の「便箱」だけ目に入り「トイレ」と間違えられたり、当時の街頭照明事情から黒色のポストは夜間になると見えづらいなどの問題があって、1901年(明治34年)に赤色の鉄製ポストを試験導入したようです。ちょうどその時期に新聞で読んだ正岡子規さんが、「見たいと思う物」の1つに「紅色郵便箱」を挙げたのですね。今回の画像は、ソメイヨシノ発祥の地とされるエリアの最寄り駅「駒込」駅前の桜色ポストです。(つづく)
さればにや人麻呂をもまたかくのごとき人ならむと己(おのれ)に引き合わせて想像したるなるべし。人間はどこまでも自己を標準として他に及ぼすものか。
【235~236ページ】
そこで自分の見た事のないもので、ちょっと見たいと思う物を挙げると
一、活動写真
一、自転車の競争及び曲乗
一、動物園の獅子及び駝鳥
一、浅草水族館
一、浅草花屋敷の狒々(ひひ)及び獺(かわうそ)
一、見附の取除けの跡
一、丸の内の楠公の像
一、自働電話及び紅色郵便箱
一、ビアホール
一、女剣舞及び洋式演劇
一、蝦茶袴(えびちゃばかま)の運動会
など数うるに暇が無い。
[ken] 230ページで、人の認識や意見は結局のところ「当人を基準にしたものに過ぎない」と述べられています。それは、幾多の先人たちの言葉を引用したり、諸文献から借用したりしても、それを選択した当人の考え方に基づいているということですね。心理学においても「人は自然に自分の好きなものに反応し、それを選んでいる」との説もあり、私自身を冷静に振り返ったとき「なるほど!」と得心させられました。だからと言うわけではないですが、私は「あの時こうすれば良かった」とか、「何という浅はかな選択をしたのだろう」とか、わが身をせめて後悔することより、それが定められた道だったという「運命論者」的な納得の仕方をしてきました。言葉を換えれば、何はともあれ自分で選んだことなのですからね。
235~236ページにある正岡子規さんの「ちょっと見たいと思う物」については、抜き書きしながら心が痛みました。それにしても、浅草に水族館があったことは知りませんでした。また、「丸の内の楠公の像」が明治時代に建てられこともわかりました。楠正成の像は、私が詩吟を習うようになってから場所を調べて出かけ、その後も皇居散策ときには立ち寄るようにしています。それでなければ、そばを通っても絶対に何の像やら分からず、楠公とは天皇に殉じた武士で戦前の教科書にも載り、いわば「戦前の軍国主義に利用された人物」であるといった認識で終わっていたでしょう。
それから、郵便ポストはずっと「紅色郵便箱」ではなかったことも分かりました。日本の郵便制度初期は、ポストの色が赤色ではなく黒色だったそうです。しかし、「郵便箱」の「便箱」だけ目に入り「トイレ」と間違えられたり、当時の街頭照明事情から黒色のポストは夜間になると見えづらいなどの問題があって、1901年(明治34年)に赤色の鉄製ポストを試験導入したようです。ちょうどその時期に新聞で読んだ正岡子規さんが、「見たいと思う物」の1つに「紅色郵便箱」を挙げたのですね。今回の画像は、ソメイヨシノ発祥の地とされるエリアの最寄り駅「駒込」駅前の桜色ポストです。(つづく)