goo

何でもないほのぼの小説!

2016年05月25日 | O60→70(オーバー70歳)
▼5月12日、石川県在住の友だちから勧められた庄野潤三さん(芥川賞作家)が、80歳の時に書いた『星に願いを』という何でもないとぼけた日記風の小説を読み終えました。
▼かなり重複した文章も多く見られましたが、ほのぼのとして、私も老後はかくありたいと思いました。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

抜き書き帳『生家へ』(その5)

2016年05月25日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
【165ページ】
知人の世話で、映画会社の人に経歴書を持っていった。--------
ちょうど、ストライキ騒ぎが起こりつつあったところで、大きな建物の中に方々の労組から応援に集まってきた人たちが居り、その人たちと一緒に夕食を貰い、その建物の中に寝た。そうして、それから1週間ほど、バリケードで封鎖された撮影所の中に居た。

【155~166ページ】
私は街の賭博場の中で、数え切れない人たち、主に自分より年長の人たちと顔を合わせていた。そうして買ったり負けたりしながら、次第に、他人と闘い、しのぎ合うコツを覚えていった。そういう中で身につけたものを誇る気はないが、しかし私にとってそれは社会的教養のようなものであり、生まれてはじめて衣服をまとって人前に出たような実感があった。
私は、私の眼の前の勝者や敗者を充分に敬愛することができたし、勝ったときの自分も負けたときの自分も、そのときどきの表情を恥じないでいることができた。それはきわめて珍しいことで、それまでいつも、生きていて恥ずかしいと思っていたのだった。誰に比べて恥ずかしいというのではない。だから始末がわるい。
それが、そのときどきの相手や状況の中で、自分を定着させることを覚えてきた。むろん、仮りの定着にすぎなかったけれど。

[ken] 積極的ではないにしろ、戦後の労働争議に、色川武大さんも身を置いていたことを知りました。また、色川武大さんは阿佐田哲也として変貌を遂げるわけですが、その瞬間と心の有り様について、少しだけ理解できたような気がします。(つづく)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )