▼5月9日、テレビ東京『未来世紀 ジパング』は「天空の遺跡との絆、日系人沸騰のペルー」でした。マチュピチュ初代村長をつとめた福島県安達郡大玉村出身の野内与吉さんが、半世紀ぶりに来日したときの様子は、私も子どもながらかすかな記憶があります。大玉村は、私が生まれ育った町と遠くないことから、父や近所の人たちも大層喜んでいたのです。しかし、大人になってからまったく失念していて、友人たちとマチュピチュの話題になった時なども、野内さんのことはスルーしていました。というわけで、マチュピチュの唯一の姉妹都市「大玉村」のことは、しっかりと記憶にとどめることができました。
▼1964年当時のドル円は1ドル360円の固定相場でしたが、待望された海外旅行の自由化 された年です。1970年代早々、初代マチュピチュ村長をつとめた野内与吉さんは半世紀ぶりに故郷の大玉村を訪れ、大歓迎を受けました。そもそも、1886年の明治維新以降、3300万人にまで人口が急増し、政府は移民政策を積極的にすすめました。その結果、現在の日系人は350万人をブラジルを筆頭に、160万人のアメリカ(ハワイなど)、そしてペルーにも10万人の日系人が暮らしています。
▼また、池上彰さんの解説で「勝ち組と負け組」という言葉は、終戦直後に日系移民たちの間で起こった論争に由来するそうです。ハワイの日系移民は、当然のことですが「日本はアメリカに負けた」(負け組)と主張し、一方の南米日系移民は「日本はアメリカに負けるはずがない」(勝ち組)と主張したわけですね。その後、日本の負けで論争は落ち着いたのですが、渡航自由化で日本を訪れた勝ち組の日系移民たちは、戦後復興を遂げた母国を見て、「やっぱり日本はアメリカに勝っていた」と言った、という嘘みたいな本当の話があるのですね。