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余が幼き時婆々様がいたく蟇(ひき)を可愛がられて、毎晩夕飯がすんで座敷の縁側へ煙草盆を据えて煙草を吹かしながら涼んで居られると手水鉢(ちょうずばち)の下に茂って居る一ツ葉の水に濡れて居る下からのそのそと蟇が這い出して来る。それがだんだん近づいて来て、そこに落としてやった煙草の吸殻を食うてまたあちらの躑躅(つつじ)の後ろの方へ隠れてしまう。それを婆々様が甚だ喜ばれるのを始終傍におって見て居たために、今でも蟇に対すると床しい感じが起こるので、世の中には蟇を嫌う人が多いのをかえって怪しんで居る。--------、何でも子供の時に親しく見聞きした事は自ら習慣となるようである。家庭教育の大事なるやえんである。
【322ページ】
◯芭蕉が奥羽行脚の時に、尾花沢という出羽の山奥に宿を乞うて馬小屋の隣にようよう一夜の夢を結んだ事があるそうだ。
ころしも夏であったので、
・蚤虱(のみしらみ)馬のしとする枕許(まくらもと)
という一句を得て形見とした。しかし芭蕉はそれほど臭気に辟易しなかったろうとおぼえる。
[ken] 末っ子の私は、小学校入学までおばあちゃんのかたわらで遊んでいました。正岡子規さんではないですが、私の祖母もたばこを吸っていましたので、縁側で一服する姿は私の心の中に鮮明な記憶として残っています。ただし、家で葉たばこを耕作していたので、煙草の生葉を食べる虫は知っていましたが、普通のたばこを食べる蟇(ガマガエル)は聞いたことも見たこともありませんでした。
また、「何でも子供の時に親しく見聞きした事は自ら習慣となる」ことについては、自分でも自覚しているものがあります。大好きな味覚(お袋の味、おばあちゃんの味)であったり、お裁縫(今でもズボンの裾上げが至福の時間です)であったり、刃物(料理や鉛筆削り、竹細工)を用いたりしていると心が落ち着くのです。それは、明らかに幼児体験が作用しているわけで、正岡子規さんの文章に深く共感した次第です。
322ページの芭蕉は「臭気に辟易しなかった」というのは、江戸時代という背景もあると考えます。文明開化とともに上下水道が普及し、田んぼや野原が民家や工場、事務所等に置き換わっていく中で、それまで漂っていた「匂い」や「臭い」が薄れていったと想像できます。私自身でいえば、実家には物心つくころから常に牛馬がいて、高校時代は40頭もの牛の肥育をしていましたので、食卓にハエは寄ってくるし、糞尿の臭いも絶えずそばにありましたので、今でも「悪臭」への免疫はダントツに強いといえます。
昨今、環境においても食材において「無味無臭」が良いとされ、くわえて「芳香」が一つのビジネスにさえなっている時代です。というわけで、「嫌煙権」や「受動喫煙防止」とも関連しますけれども、「臭い」への拒否反応は「臭い」そのものの判別を不可能とし、人の感覚を退化させてしまう難点がある、と私は憂いています。(つづく)