先月、『生家へ』色川武大著(中公文庫、1986年11月刊行)を読み終えましたので、たばこの出てくるシーンを中心に、私の簡単な感想を付し、都合10回にわたり抜き書きを投稿します。
【76~77ページ】
昔から、何かをやりはじめるとのめりこむように凝っていか傾向が父親にはあった。----それから煙草の空箱だ。空箱を編んでいって碁盤の蓋を造った。蓋ができあがると、釜敷や鍋敷や土瓶敷や火鉢敷の敷物がたくさんできた。ある日父親は眼を見開いて発心したように大きな四角いものを編みだした。それは伸び拡がって際限がないようにも見え、父親自身も、面倒くさくてかなわない、とこぼしだしたほどだったが、結局、それは広縁と板廊下に敷かれた。父親がいった。さあ、これで足が冷たくないよ。
【78~79ページ】
私は恩給という奇妙なものの存在を忘れがちで、父親を、誰にも頭を下げずに屈託だけで生きている人間と思いがちであった。----なまじなものと提携をしない男だったから、どう考えても、海軍でも、株でも、調和がとれる可能性はない。したがって、この世でやれることはほとんど無いのであった。その後、彼がやったことは、小窓に貼る切絵だ。煙草の空箱で造る敷物だ。それから、写真の額縁。----
中国大陸で戦争が起きたときには、父親はあきらかに興奮したようであった。その頃はそうする人が珍しくなかったが、彼も大きな地図を買いこみ、赤鉛筆で日々の戦況を塗り込んだ。
[ken] たばこの空箱で工作品を作るのは、販売店で積極的にとりくまれていましたね。自らの作品は、店頭に飾っていたお店が数多く見受けられました。私の印象では、本書にあるような釜敷や鍋敷よりも、和傘が一番きれいで、飾ってある景色も良く覚えています。これをセブンスターで作ると、キラキラとして見栄えのある和傘になったのですね。当時の空き箱は、ほとんどがソフトパックでしたから、折りつなげることができました。現在はボックスタイプが多くなったので、工作できるだけ集めるのも大変でしょうね。(つづく)