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抜き書き帳『樋口一葉』(その8)

2016年06月09日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
《うもれ木》明治25年11月~12月②

【280ページ】
----、お蝶がしばしと止むるも聞かず、朝飯まえに家を出けり、寺は伊皿子の台町なればさまでには遠くもあらず、泉岳寺わきの生垣青々とせし中を過ぎて、打水すずしく箒木目の立つ細道を、----。
【291ページ】
----、我れ自由の筆貧ゆえには縛ばられねど、中々の直行にくまれて、問屋うけよからねば、注文は廉価粗物の外もなく、事心と合せず筆なにとして揮(ふる)わるべき、不満不満の塊まりは、何の世の中あき盲目ども、これ相応と投げ出しものにして、意匠もちいず鍛れん馬鹿らしく、品物の面て(おもて)よごしてやれば、我が血涙を呑みし粗物も、かれ衣食のためにする粗物も、見る目に何の変りなく、口ほどもなき駄物師と嘲(あざけ)られて、我が名いよいよ地に落ちたり、----。
【308ページ】
----、お蝶もなし辰雄もなし、我慢もなし意地もなし、金光我が身に輝いて、四方に沸く喝采の声、莞爾(にっこ)と笑めば耳ちかく、籟三愚物のつかい道なしと、聞こえ出ずるは篠原か、汝れ(おのれ)と辰仰ぐ袖ひかえて、お風めすなと優しき声、嬉しやお蝶かえりしか、兄さまかしこへ諸共にと、----。

[Ken] 280ページの伊皿子、泉岳寺あたりも私のお昼休み散歩コースです。 さすがに「箒木目の立つ細道」は見かけませんが、起伏に満ちた細道はそのまま残っており、景色の変化を楽しめる路地が網の目のように交錯しています。籟三の努力むなしく「我が名いよいよ地に落ちたり」と嘆く姿が、目の前に見て取れるような描写です。
「負の連鎖」「泣きっ面に蜂」という状況から抜け出せず、何をやってもうまくいかない時期が、私の63年の人生にも思い当たることはあります。自分なりの対処策としては、結局のところ「ちょろちょろ動き回らないで、じっと我慢するしかなかった」という平凡極まることですが、私には最善の選択だったと思っています。(つづく)
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何でもいいからスケッチしてみよう!

2016年06月09日 | O60→70(オーバー70歳)
▼5月23日のお昼休み、慶応大学東門の坂を上っていたら、中学校の女子生徒さんたちが、低い折りたたみ椅子に座って、立てひざにスケッチブックを載せ、周囲の景色をスケッチしていました。
▼それで、頭の中のある部分がプツンと弾け、今、感動しながら読んでいる宮沢賢治さんの写真をスケッチして見よう、と思ったのです。何十年ぶりのことですから、それもボールペンなので、うまく描けませんでしたが、とても楽しかったので、これから時々やってみようとと思いました。
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