昨年あたりからだろうか、散歩していると朽ち果てそうな空き家や、もうじき閉めそうな店舗、錆びたトタン板の平屋などに、ついつい目が止まってしまうのです。
ずっと「木造モルタルづくりの家屋は安っぽくて、とても見るにたえないなぁ」と目をそらしていました。
しかし、自分が加齢していくにしたがい「古い家の後始末はどうするのかな?」とか、「ここで生まれ育った人たち、仕事で汗をかいた人たちがいたんだな!」とか、「よく見ると、味があって郷愁をよぶ景色だなぁ」とか、「失われていく景色や追憶への共感なのかなぁ?」と思っています。
もう少し時間が経ったら、温かい日にスケッチブックがわりのノートと鉛筆、ボールペンを手に、散歩がてら近隣の古い建屋のお絵描きをするのも楽しそうだなぁ、と思いました。
Since last year or so, when I go for walks, my eye is inevitably drawn to vacant houses that look like they are falling apart, stores that look like they will soon be closing, and one-story buildings made of rusty corrugated iron.
ずっと「木造モルタルづくりの家屋は安っぽくて、とても見るにたえないなぁ」と目をそらしていました。
I always looked away, thinking, "The wood and mortar houses look cheap and really unattractive."
しかし、自分が加齢していくにしたがい「古い家の後始末はどうするのかな?」とか、「ここで生まれ育った人たち、仕事で汗をかいた人たちがいたんだな!」とか、「よく見ると、味があって郷愁をよぶ景色だなぁ」とか、「失われていく景色や追憶への共感なのかなぁ?」と思っています。
However, as I get older I find myself thinking things like, "What will happen to the old houses?", "There were people who were born and raised here, and people who worked hard here!", "When you look closely, the scenery is full of character and evokes nostalgia", and "I wonder if it's a sense of empathy for the scenery and memories that are being lost?"
もう少し時間が経ったら、温かい日にスケッチブックがわりのノートと鉛筆、ボールペンを手に、散歩がてら近隣の古い建屋のお絵描きをするのも楽しそうだなぁ、と思いました。
I thought that after a little while, on a warmer day, it would be fun to take a walk with a sketchbook, pencils, and ballpoint pens and draw pictures of the old buildings in the neighborhood.