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なつかしの坪井工業株式会社〈英訳付〉

2021年08月04日 | 東洋大学校友会(非公式)
私は出勤途上の三田駅近くで、この何気ない表示版に釘付けになった。

I was on my way to work near Mita Station when I was glued to this unassuming display board.

銀座に本社のある設計者の「坪井工業株式会社」は、東洋大学同級生(でも3歳年上)のYさんが、ほぼ50年も前に社長室で宿直のバイトをしていた会社なのです。

大学は学生運動によるロックアウト状態で試験がなかった頃でもあり、社長室で単位を取るためのレポート作成や、麻雀、深夜の屋台で夜食のラーメン、当時の朝日新聞本社(有楽町駅前)食堂で食べた朝ご飯など、ものすごい勢いで色々と思い出したのです。

Tsuboi Kogyo Corporation, the designer of the Ginza-based company, is the company where Mr. Y, a classmate of mine at Toyo University (but three years older than me), worked part-time as a lodger in the president's office almost 50 years ago.

It was also a time when the university was in a lockout due to the student movement and there were no exams, and I remembered a great deal of things at the president's office, such as writing reports to earn credits, playing mahjong, eating ramen for the night at a food stall late at night, and breakfast at the cafeteria at the then Asahi Newspaper headquarters (in front of Yurakucho Station).

帰路の札の辻交差点では、バンダイナムコ本社ビルの左隣にも、高層ビルが建設中でした。その様子をスマホで撮っていたら、羽田空港に向かう旅客機が目に入りました。

At the Fudanotsuji intersection on the way home, another high-rise building was under construction to the left of the Namco Bandai headquarters building. As I was taking pictures of the scene with my smartphone, I saw a passenger plane heading for Haneda Airport.

東京湾方向からではなく、渋谷上空を通ってくるのです。飛行機の部品が落ちてきたり、事故ったりしたら怖いですね。

It comes not from the direction of Tokyo Bay, but over Shibuya. It would be scary if parts of the plane fell out or had an accident.



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【私とお酒について】

2021年08月04日 | O60→70(オーバー70歳)
婿養子であった祖父は地域でも名の知れた大酒飲みで、私が生まれる2年前に70歳で他界。胃がんだったと聞いている
父は来客がある時以外に晩酌をしなかったが、外飲みでは酒豪と呼ばれた。冠婚葬祭では昼間から、たんまりと飲む地域柄、父の酔って大騒ぎしている姿が日頃の不機嫌で無口な様子と異なり、ずっと違和感を覚えていた
父が大酒を飲み、帰宅してからわがままを言い、祖母は私を膝の上に乗せ、妻子に説教している息子の姿を見せながら、「ケン、大人になっても決して酒を飲むなよ。私はお前のじいちゃんと自分の息子の酒癖の悪さで、すごく苦労した」と諭された(そんな父も、連れ合いに先立たれた70歳過ぎから、徐々に酒量は減り、まずはお酒をやめ、75〜76歳頃にはあれほどのチェーンスモーカーであったたばこもやめた。父が他界する3年ほど前、父はうちのカミさんに「俺には過ぎた女房だった」と、一緒に過ごした年月でいま少し、もっと優しくできなかったのか、という反省の言葉を語ったそうだ。何で息子に言わないの、とは思ったけど照れ屋だからなぁ
私が18歳で上京して過ごした学生時代は、北海道、新潟、鹿児島、宮崎出身の友人たちが揃って酒好きで強かった
私は何度も吐きながら付き合ったが、生まれ持った体質と祖母の言葉の呪縛によって「ジンフィズ1杯半の男」と呼ばれた
時には友人たちは、バイトを終わる頃を見計らい、少しでいいからお金持って来なよと私を呼び出した。誘われると断れない性格なので、飲めないのに割り勘要員として貢献した
社会人になり飲み会は多かったが、大事な会食の場では途中から寝入ってたり、2杯目は烏龍茶だった
家庭を持ってからは、カミさんが缶ビールを飲む時も自分はソフトドリンクだった。それが、横浜に転居してから徐々に変わり、帰宅途中に1人飲みでお店に立ち寄るような日もあった
毎日のように飲み出したのは、この3年ほどである。その量も以前の2〜3倍にはなったが、せいぜい生ビールなら2杯、ハイボール2〜3杯、焼酎の緑茶割りなら2〜3杯に過ぎない(と同時に、お酒の効用を実感するようになり、祖父や父、酔っ払いの友人たちの気持ちが、今になって分かったような気がする。気持ちが落ち込んだり、元気づけたりするために、お酒は有効なツールだ。現実逃避でもいいじゃないか。いくばくかの時間をフワーっとした気分で過ごせるならば、我慢を強いるよりもストレスは蓄積しないのだから)
若い頃から高齢者になるまで、飲んだアルコールの量に比べたら、まったく届かないし、父の前例から推測するに、75〜76歳頃にはお酒もたばこも絶つはずである
友人諸氏に、毎日飲むのはダメだと助言をいただき、とても恐縮しているけれども、今しばらくご容赦願いたい
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