8月に入ると、広島・長崎・終戦関連の報道が多くなりますね
それに先立ってか、7月14日、NHK「歴史探偵」のテーマは「戦争とエンタメ」でした。開戦当初から、国は戦意高揚を目的に、写真やマンガを中心にした週刊誌「写真週報(ピーク時には300万部もの売れ行き)」を発行しました
また、敵性用語や音楽は禁止されましたが、国が求めた明るい音楽、とくにハワイアンは「アメリカ領土の音楽としてではなく、南洋音楽」と呼び名を替えて許容されました
なかでも、漫才は「笑わし隊」として、エンタツ・アチャコのしゃべくり漫才が戦地に派遣され、国内ではジャズも「軽音楽」と呼ばれ許容されたのです。国のプロパガンダ(宣伝)として、厭戦気分を助長するような暗い表現は避けられました
一方、番組では触れられませんでしたが、落語家や噺家さんも「笑わし隊」に協力しましたが、戦意を喪失させるような与太者話や廓話(吉原などのくるわ話)は禁止されました。これらの演目は、たばこの禁煙ではなく「禁演落語」と呼ばれました
また、漫才作家の秋田實さんは、台本の中で絶妙に検閲をかいくぐり国民の感情を代弁しています。その一つ「国策料理」を漫才コンビのミキが再現しました。どうしたら、公の場で国民の不満を代弁できるのかを親子丼を題材に考え、「(カシワと鶏卵ではなく、豆と豆腐で作る丼ぶりを親子丼というのは)インチキや」「インチキとは何や」とかけ合い「これは作戦や、僕が考えた国策やぞ」のオチで終わります
エンタメの明るい雰囲気は、戦況の悪化により、新聞に寄せられた娯楽の自粛を求める声によって、次々と禁止されていきます。大衆に支持された娯楽(エンタメ)は、国も意識的に利用していたのですが、自粛を求める「意識高い系」の人たちの声に抗しきれなかったのです
そして「写真週報」から笑顔と明るさが消え、エンタメは弾圧され、秋田實さんもエンタメの世界から去ります。戦後、秋田實さんは消えかかった「漫才で戦後復興を」めざし、漫才師を育成するとともに、現在に至る漫才の礎を築きました