☆☆☆☆
仲人さんによって、苦手な人もだんだん好きになる。
短歌って不思議です。読み手によって歌の理解度、奥の奥の心理が見えてきたときにいままでとは違って、同じ短歌が輝きを増す。
なんとなく、とっつきに難かった、山崎方代さんの短歌のおもしろみがじんわりとわかり出してきた。大正三年生まれだったので、この自由奔放なる短歌は周りとはさぞ浮いていたことでしょう。でもこのユーモア感、私の目指す歌と相通じるものもあり、継続して注目したい歌人でおます。
素敵な歌はたくさんありましたぞ。
とぼとぼと歩いてゆけば石垣の穴のすみれが歓喜をあげる
今日はもう十一月の二十日なり桐の梢空に桐の実が鳴る
ふかぶかと雪をかむれば石すらもあたたかき声をあげんとぞする
亡き父もかく呼んでいた道ばたに小僧泣かせの花が咲いている
焼酎の酔いのさめつつ見ておれば障子の桟がたそがれてゆく
酒を売る店のおかみとたちまちに親しくなりて変えてゆく
人間はかくのごとくにかなしくてあとふりむけば物落ちている
耳の無い地蔵はここに昔より正しく座してかえりみられず
あかあかとほほけて並ぶきつね花死んでしまえばそれっきりだよ
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております
北斎は左利きなり雨雲の上から富士を書きおこしたり
ことことと雨戸を叩く春の音鍵をはずして入れてやりたり
今日もまた雨は止まない耳の穴釘の頭を入れて出しおる
死ぬ程のかなしいこともほがらかに二日一夜で忘れてしまう
くちなしの白い花なりこんなにも深い白さは見たことがない
机の上に風呂敷包みが置いてある 風呂敷包みに過ぎなかったよ
ことことと小さな地震が表からはいって裏へ抜けてゆきたり
どうしても思い出せないもどかしさ桃から桃の種が出てくる
暮れに出た友の歌集はすばらしい夏の雀は体がだるい
欄外の人物として生きて来た 夏は酢蛸を召し上がれ
丘の上を白いちょうちょうが何かしら手渡すために越えてゆきたり
藤島秀憲さんの批評から
・短歌は全ては言わない。七十で歌い。残り三十は読者に想像してもらう。
・どちらが本当の自分なのか自分でもわからなくなってくる「粗忽長屋」状態
・短歌を作るとは人生を三十一音に濃縮することだ。
・人間一人の語彙なんてたかが知れてる。自分の言葉での表現が大切。