☆☆☆☆
「麒麟がくる」がテレビでやっているので、もう少し理解を深めようと、
秋山駿さんの「信長」を読む。
気が短くて、たわけもの、と言われ不可解な行動に満ち溢れている信長。
でもこの本では、従来の発想とは異なった ことにより変人扱いを。
例えば、戦争の方法、戦争をする意味つまり原理が違うと・・・。
信玄は自分の家が大切、つまり自分を中心の一点であるような
国土の繁栄と拡大を願い、そのための戦争。
信長は、転々と自分の居城を移す。自分の本拠地を新しい場処に移す。
俗にいう、農耕民族と狩猟民族の違い、自分の生まれ育った場処の否定、
自分の家の否定。
自分の家の否定。
天下、という観念、「天下布武」という思想はここから生まれている。
我が領地を広げるその為の小競り合い、戦の繰り返しであった中で、
信長は、新しい国のあり方、新しい精度の制定、目先の目標ではなく、
ビジョンをもって行動し、それによる部下のそろえ方、戦の仕方、
帝、天皇とのあり方、各大名との力関係、宗教などすべて従来の既成概念とは
違った前衛とでも言える、自らの手になる事実の蓄積を踏まえての、
思想と行動。
発想が非凡である故、行動が独創的になり、周りには到底理解しえないものであった。
そして、一つの国家社会、一つの文明が、変わろうとするとき、早く、いかに効率よく行おうとする合理主義が垣間見れる。
もし「本能寺の乱」がなく、信長の時代が続いたのであれば、歴史はどう変わったのか、江戸時代も短く、明治維新ももっと早く行われたり、今の私たちの思想、
DNAにも影響与えていたのではないか、そういう意味で、ひとりの人物の一生涯、興味あることですな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます