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人生において目標の山に向かっての登山だけではなく、山から下りる時の下山も大事だと説く。今我が国も、下山の時代にはいった、なすすべもなく崩壊していくのか、起死回生のエネルギーを発揮して軟着陸を遂げるのか。今や国境なき放射能やコロナウイルスの時代に、一国だけの興亡はありえない。しかしどんな時代にも、それ相当の人間の営みがある。こんな時こそ、のんびりゆっくりと下山しようと、そのヒントなるべきことが次々書かれている。
太陽も、朝日として昇り、夕日として西のかたに沈んでいく。朝日にかしわ手を打つのが神道で、西方の空に沈む夕日に合掌するのが仏教だと、どちらにも頼る私たち両方に感謝しなければといそがしいですな。
この国は、震災による放射線、新型コロナによる感染症、無策な我が国の政治、すべてに評論家と化した国民、恥ずかしながら二度目の敗戦を迎えたのではないか、国と国との戦いではなく、別の戦いに負けようとしている。
人間というものは、自分が欲する現実しか見ていない。レンズの焦点のようなものだ。したがって全体を見渡せているつもりでも、実はみたいものしか見ていない。心の欲しないものは焦点外にあって、ぼんやり映っているだけだ・・・。
煩悩とは、「身のわずらい、心のさわり」のことである。
郷愁にひたるためには、まず年寄りでなくてはならない。過去に少なくても半世紀ちかい記憶の集積がなければ無理である、それはある意味で至福の時間でもある。
ゆっくり、のんびり、と下山したいもんでおますな。
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