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同時通訳をされていた、米原万理さんのエッセイ本。
それも、ロシア語。
私たち、海外小説などその本を読んだ気になっているが、
その間には翻訳という作業があって、いかにその作業が重要性を帯びているか。
行間を読む、行間を訳す、作者の意図する、真髄を伝える。
それは、脚色ではないが、なくてはならぬ作業である。
そして、それを、瞬時に伝える、同時通訳という離れ作業でこなす。
例えば、世界エイズ会議で、会議開始直前に、「売春婦、商売女、なんて言葉、
絶対使ってはなりません。もちろん娼婦、女郎は禁句、淫売なんてもってのほかです」・・・一生懸命事前に、その関係の語彙を詰めこんだばかりなのに。
どういえばいいの
「コマーシャル・セックス・ワーカーで統一してください」と。
会議が始まると、突如「brothel」なる単語が、咄嗟に浮かぶのは
「淫売宿、女郎屋」しかない、どうしよう、どうしよう・・・
するとベテランの通訳者は「コマーシャル・セックス・ワーカーの職場」と、
通訳の基本中の基本が語られている・・・・そう思うと、
これから海外の本は、翻訳者に、注目して読まなければなりませんな。
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