なんだか、バクハツしてしまいそうなノアザミです。去年の初夏、仕事先の近くの川原に咲いていました。図鑑の写真と比べると、幾分色が薄いように感じるのは、写真の具合かな。植物の鑑定は、難しいですね。もしか間違っていたら、教えてください。
風邪をひいてしまいました。鼻をすすりながら、これ書いてます。のどがつぶれて、ひどい声になってしまった。今年のお正月は、ほとんどひきこもり正月です。ふとんの上で、毎日編み物ばかりしてる。さんざんだな。テレビも見る気しないし。地べたを這いずり回るような状況で、見つかる小さな美しいものを魂に食べさせながら、飢餓状態を低栄養状態に保ちつつ、あらゆることに目をつぶりながら、今をしのいでいる。という感じですか。
テレビを見るのがいやなのは、テレビに出てくる人たちの、台本上言わなければならないことと、顔が言っていることが、まるで違うってことがわかるからです。いかにも苦しそうだ。おもしろいのは、俳優さんやアナウンサーさんよりも、お笑い芸人さんのほうが、苦しそうだってこと。たぶん、芸人さんのほうが、ジョークにまぎれて本音を表現しやすいからでしょう。苦しい形で、ほんとの自分を生きようとしている、そんな感じの人が多いからでしょう。
この世界では、まっすぐに真っ正直な自分を、本気でやろうとすれば、コントになってしまうからです。
先日、御飯を食べつつ、何気なくテレビをつけましたら、歴史番組をやってました。戦国の英雄をとりあげていましたが、言うまでもなく、信長礼讃という感じのことをやってました。パターンですね。
信長が受けるのは、それが男のわがままの最たるものだからだと思っています。天下をとるってくらいすごいことをやるんだから、何やったっていいんだよ、という感じの。これくらいすごいやつだから、バカだっていいんだよって、感じの。
確かに、かなりすごいことをやってくれていますが、しかし人は、信長の欠点というのを、どうしても見ようとしません。信長は、時代の常識を破るということをやった反面、あまりにむごいことをやっている。そこまで人間をバカにすれば、当然、こうなって当たり前という末路を、迎えている。人はそれを悲劇としてとらえて、正視しようとしない。それは悲劇ではなく、当然の結末だったのですが。
信長を真似する男の人はおおいですが、そんな風に、自分だけえらいんだという顔をして、周囲をばかにしていれば、当然、周りの人は苦しみます。信長はそれを見ようとしない。絶対に自分が一番いいでなければ、いやだからです。絶大な権力さえ持っていれば、それでもなんとかいけるんだと、なんとかしようとしますが、頂点を極める人はまれ。たとえ頂点を極めても、あっという間に落ちてしまう。そういう例はたくさんあります。人はそこをみようとしません。
「うつけ者」は「うつけ者」。だとわたしは思いますよ。盛者必衰の理は、「ノブナガ」でやろうとする人にあてはまるのです。平家もそうでしたしね。
ノブナガが好き。ノブナガがいい、という人は、がんばって、やってごらんなさい。大変なことになりますから。女の子に嫌われますよ。たいていね。