去年の春の、ハナビシソウです。疲れているときには、目にもあざやかな色の花が、まるで甘い薬のようにしみとおる。やさしい花ですね。燃えているようにあざやかな色なのに、どこか清らかな感じがする。なにかをしてあげようとしている。そんな心が、見えるからでしょう。
花が美しいのは、花が、その花自身であるからです。だから花は、見るものに、常に何かをしてあげようとする。自分が自分であればこそ、愛が当然のことになるからです。
けれどもこの自分を見失っている人は、どんなに美しく着飾ろうとも、嘘で鎧をつくっても、どうしても美しくは見えない。それは、愛ではないからです。
自分がいやだと思い、自分を見失っている人は、自分以外の人がみな自分よりよく見えます。そして、自分があまりにつまらないものに思え、その苦しさのあまり、自分以外のあらゆるものを侮辱し始める。「おまえなんかいやだ」というのです。なぜそれをいうか。「いやだ」といえば、その一瞬だけ、目の前にいる人間より優位に立てるからです。
「おまえがばかだから、いやなんだ。だからおれは、おまえよりえらいんだ」
自分が自分であることを、苦しいと感じている人が、遠い昔からやっていることは、ただこれだけのことなのです。あらゆる権力争い、戦争、だましあい、きずつけあい、殺し合い、奪い合い、すべてはみな、ただこれだけなのです。
「おまえよりわたしがえらいのだ。」
なぜなら、そうでなければ、自分には何もないと思っているからです。自分がないからです。だれよりも自分が偉くなければ、耐えられないほど、それはすさまじい痛みなのです。自分が、ほかのだれよりも醜く、苦しく、バカみたいなものに思えるからです。
だから人は、あらゆる嘘と、巧妙な技を使って、ほんものそっくりな偽者の自分を、いかにもすばらしい感じで作り上げる。まるで巧みな芸術家の技巧のような、すばらしい技で、あまりにも、みっともないものを作る。それはそれは、絶望的に苦しい、愚か者の金字塔なのです。針でつつけば、一瞬にしてなくなってしまう。まぼろしにも満たないほどの、ありもしないため息の影。それを、愚か者は、まだ作り続けようとしている。
自分が苦しいから。何もないから。嘘でなにもかもを作ろうとする。そしてあらゆるものを侮辱し、つぶし、殺し続ける。自分よりすぐれているものは存在してはならないからです。ひとりでもそれがいれば、自分のうそがばれてしまう。あふれるほどに、まぶしい、すばらしいものになれなければ、あまりにも、ひどいことをしすぎてきたことの、いいわけが、できない。なにもかも、自分が正しいにしなければ、痛すぎることをしてきてしまったことが、いやなことになりきってしまう。自分がいやなものになりきってしまう。それはいやだ。
だから愚か者は、愚かなことをし続ける。すべては阿呆なんだ。だから何をしてもいいんだ。軽々ということの真の意味を、理解もできない幼い段階で、人はすべてを否定することだけで、すべてを凌駕しようとする。世界で自分が一番えらいんだ。そういうことにしてしまう。それでなければ、あまりにも自分がバカだから。
これは恐ろしい病です。自分がない人は、自分から何もしようとしません。自分でやっているようで、それはすべて誰かにやらされていることなのです。自分で判断しようとしない。責任をとろうとしない。だからどんなことになっても、それまでと同じことをしようとし続ける。自分がやってきたことの結果が、現実となって返ってきても、まだ同じことをしようとする。それをやれば、結果的に一層悪くなるということがわかるのに、やる。自分がある人なら、ここで状況を見て正しい判断ができる。自分できめて、自分が動くことができる。けれども愚か者はそれができない。なぜ? いやだから、です。何もかも、「いやだから」。
彼らは、痛ましいほどに、苦しいのです。やってきたことのすべてが返ってきたとき、そこにいやらしい自分がありありと見えすぎるからです。いやなんだと、否定し続けてきた自分が、あまりにも厳しい現実となって、返ってきたからです。
あれがおれなんだって? そんなことを認めるはずがないじゃないか。おれはえらいんだ。えらいものでなければならないんだ。でもたまらない。すべてはうそだからだ。うそだってわかってるんだ。そんなやつはさいていだ。でもおれは、ずうっとやってるよ。ぜえんぶ、うそなんだよ。
いやだ。
なにがいやなんだ。いたい。いたい。いたい。
痛みと辛さの麻痺感覚によいながら、愚か者は本当の自分に、自ら鞭打ち続ける。それを、ずうっと、つづけている。ながいことながいこと。噛み付いているものが、自分の尻尾だと気づくまで、その痛みに苦しみ続ける。
これが無間地獄です。
ばかなことをやりつづけて、すべてないことにして、またばかをやりつづけて、ほかのやつらをみんな阿呆にして、おれだけがいいんだにしたら、みんな阿呆になった。なにもかも、なくなった。それでもおれは、まだやってるよ。
もうなにもない。
愚か者は、まだやっている。