君子は周して比せず、小人は比して周せず。(為政)
できた人は、だれにでもやさしいが、わかってないヤツは、特定の人間をひいきして、全体の和を乱す。
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論語をやり始めると、続いてしまいます。好きだからなんですが、最近和訳がきついですね。以前はもっとおとなしく、婉曲に婉曲に言ってたような気がしますが。たとえばこんなふうではないかしら?て感じに、やさしく、言ってましたね。さて、どうしてこうなったのか。
ええかげんにせえよ、と言いたいことが、たくさんあったからです。さてと。
このことばにあることは、和をもって貴しとする日本人には、自然に備わっている道徳、と言ってもいいと思います。風土的なものというか、文化的なものといいますか。子供の頃から、「みんなと仲良くするんだよ」といい聞かされて育ちますから。いつの間にか自然に、わかってくる。そこらへんが外国人に、自己主張がないなどと揶揄されるところではあるんですが。しかしわたしは、これは日本人のとてもいいところだと思っています。
日本人は、これを誇りにしていいですよ。なぜなら、これはある程度の教養の深まりがなければ、できないことだからです。
自己主張をしたいのは、人間だれしものことですが、それをある程度のレベルで押さえ、他者の考えに耳を澄まし、自己より高い愛の視点に己を持ってきた上で、全体の流れを決める。それができる人を、君子というのです。これは、書を学び、また社会的鍛錬を経た強さを持っている人でないとできない。
それを日本人は、文化として持っている。それはとてもすばらしいことだと思うのです。大切にしないといけない。
自己主張ばかりする人は、自分と意見の似た人をひいきして、集団に亀裂をつくり、争いを生じさせます。そうなれば、みなが苦しむ。結果的に、その集団自体を、破壊してしまいかねない。
誰かの我田引水的な意見を基準にして分け隔てをすれば、その集団内に、バカみたいなことが起こる。当たり前のことなんですが、今の世間には、これがわかっていない人が、けっこういるようです。
何でも、強く我を押し出す人がかっこいい、になってしまっている。それで、人間関係にいやな空気が流れてしまう。これは苦しい。いやなことでもやらなければならないのか、ということになり、何もかもいやになってくる。
バランスを考えない自己主張は、害以外のなにものでもありません。節度というものが大事なのです。なんでもかんでもやっていいというものではない。
大人になれば、好きなことをやっていいのではないんですよ。これはほんと。何でいまさらこんなことを言うのか、という当たり前のことなんですが、言わなければわからないのか?という方がたくさんいたので。
失礼ながら、少々きつく言わせていただきますよ。
派閥と力関係のみでやれば、絶対に破滅を招きます。全体をなんとかする愛の視点を無視し続ければ、すべてが瓦解する。その前に、対策をせねばならない。
さて、どうしますか?