君子重からざれば威あらず。学べばすなわち固ならず。忠信を主とし、おのれに如かざる者を友とするなかれ。過ちてはすなわち改むるに憚るなかれ。(学而)
君子は、確固とした信念がなければ威厳がない。独善を防ぐために、積極的に学ぶ姿勢を忘れてはならない。真実に忠信を尽くすということを、人生の本義とし、よい友達と交わりなさい。失敗したら、反省し改めることを、怠ってはならない。
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お待たせしました。説教臭い「てんこの論語」も、一旦今日で終わりです。ごらんください。左の「最新の投稿」。タイトル六文字ですっきりまとめてみました。こういうアホなところにこだわるのが、わたしの自閉っぽいとこなんですが。どう、きっちりしてて、美しいでしょう。
さて。
このことばは、論語の中で、わたしの一番好きなことばです。人生をまっすぐに、正しく行くために、抑えておきたい大事なとこを、みんな抑えておいてくれてる。このとおりに生きれば、本当に美しく、幸福に生きることができるでしょう。
実際、わたしは、人生の分岐点で迷うとき、いつもここに要を置いていました。
「忠信を主とし」
すなわち、何が本当のことなのか。正しく生きるために、みなが幸せになるために、自分が何をするのが、ほんとうに正しいことなのか。
自分の真ん中にある、「本当の自分」のいうことと、違うことはしたくなかった。だから、相当に苦しいときも、そのことばに従って生きた。苦しすぎるときも、そうした。
バカなやつだと思うでしょう。昨今、自分にまっすぐ正直に生きることができるはずがない。説教臭い先生など、偽善の塊だと斜めに見て、世の中アホばっかりだと、身勝手に傲慢に生きるのが流行りだった。つっぱらかるのがかっこいいと、何もかもを見下していた。人生なぞテキトーにやるのがいい。お金や見かけだけの恋人や、有名なだけの本など、きらびやかな泡のような幻ばかり追いかける。ばかばかしいものばかり。みんなそんなもんなんだって思えば、自分がカッコイイ。
でも、わたしにはできなかった。いつも、なぜか、一生懸命にやってしまった。些細なことにでも、全力でやってしまった。みんな、バカだといった。冷たい視線をいつも感じていた。でも、自分を変えることはできなかった。
その結果が、自閉の、引きこもりです。バカですね。ほんとに。
今、この孔子のことばのとおりに生きれば、たいていこうなります。
でもやっぱり、わたしはこのわたしがいい。このわたしを捨てることだけは、絶対にしたくない。どんなに苦しくとも、やはりわたしは、この自分でいきます。
バカでいい。自分を捨てるバカだけにはなりたくない。わたしは、わたしだ。
どんなに苦しい状況でも、天にまっすぐに胸を張れる自分で、いられることが、わたしの本当の幸福なのだ。
これから、どんなことがあることやら、わかりませんが、やっぱりわたしは、こういうわたしで、変わらず、生きていくことでしょう。こんな自分が好きだから、好きな自分とずっといっしょにいることが、幸福だから、ずっとこのままでいく。
これからも、バカなてんこのブログと、おつきあいください。