位なきを患えずして、立つゆえんを患えよ。おのれを知らるるなきを患えずして、知らるべきをなさんことを求めよ。(里仁)
えらい人になれないと嘆くよりも、なぜそうなれないのかを考えなさい。ひとかどのものとして知られたいと嘆くより、そうなるためにしなければならないことを、やりなさい。
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孔子の元には、学んで、えらい人になりたい、出世したいと願う人間が、たくさん集まったのでしょう。勉強すれば、えらい人になれるといわれて、学びに来るものが、何度も何度も、孔子の周りで言っていたのでしょうね。「どうすれば出世できるんだろう。有名になれるんだろう。」
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三年学びて、穀に至さざるは、得易からず。(泰伯)
三年学んで、士官のことを考えないものは、めったにいない。
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えらい人になりたい。かっこいいやつになりたい。みんなにほめられたい。すごいやつだといわれたい。本当に、人間の心の中には、いつもこんな気持ちが、うずく虫のようにうごめいている。そして気づかぬうちに、そのためにあらゆることをしている。うそででもいいから、そうなりたい。そうなりたい。
努力し、学びを重ねていけば、いつかは自然にそうなれるものなのですが、努力の「ど」も終わらないうちから、そればかり言うのはどうしたものか。孔子は嘆息交じりに、弟子の質問に答えたんでしょう。そんな場面が目に浮かびます。
自分で、やらなければ、そうはなれないんだよ。
当たり前のことなんですが、それがどうしてもいやだという人間が、いるのです。もっと簡単に、えらくなりたいと。それでばかなこともやってしまう。
なぜそんなに、えらい人になりたいのか。それは、本当は、今の自分がぜんぜん偉くないからです。勉強ができていないし、いろんなことを知らないし、鍛錬すればできることも、やらないからできない。未熟なところばかり目立つ。こんなんじゃ、えらくなれっこない。こんなのはいやだ。だから、どうにかして、すごいことをやって、えらいやつになりたい。
要するにその人は、勉強が足らなくて、ちっぽけなことでつまずく自分がいやなのです。すごいことができる、えらい人、でっかい人になりたい。でもそうなるには、大変な努力をしなくてはいけない。「やれる」人というのは、みんなそういう大変な勉強をしている人なのです。苦しいことも、苦しいといわずに励んできた人なのですが、勉強の足りない人は、そこがいやなのです。
あっちに自分が負けているというのがいやなのだ。だから、至極簡単な方法で、なんとか勝とうとする。それが、バカになる。
そういうことをやめなさい。そして、まじめに励みなさい。そうすれば、えらい人に自然になれる。ごく当たり前のことなんですが、たいていの人間はこれを嫌がる。当たり前すぎて、いやなのです。もっとうまくやりたい。知恵をつかって、面白いことを阿呆みたいにやって、みんなの度肝を抜くような、どえらいことをやって、「すごいやつ」になりたい。
でもそれは、結果的に、すべてだめになる。嘘と、我欲だけでやることは、一時は幅を利かせることができても、いつか必ず、本当がばれる。そこのところが、何度失敗しても、わからない人がいっぱいいるのです。
なぜ、えらい人になれないのか。それは、えらい人になりたがるからです。それをやめればいいんですよ。なぜなら、そんなものは、結局は必要ないものだからです。えらい人になりたがるのは、それがなければ、自分が苦しすぎると思っているからです。バカみたいな自分だから、そんなものがなければ、何にもないんだと、思い込んでいるのです。
それは違うんですよ。
えらい人は、自分がえらいなんて、思っていません。みんなだれかのおかげで、自分のやるべき仕事ができるんだということが、わかっている。それで、えらい仕事ができるのです。みんな、同じ。えらい仕事は、まじめに自分をやっていけば、だれでもできることなんです。ほんとうは、みんな、偉いんですよ。そこを、いやだと言って捨ててしまうから、いやなことになってしまうのです。
それが、ほんとです。