久しぶりに詩と歌を詠んでみました。かなり回復傾向にあるようです。まだいろいろ苦しいことはありますが、トンネルの出口の光が見えてきた、というところでしょうか。ひところほど、苦しすぎることはない。
もっとも辛いときは、呼吸するごとに痛い、という感じでしたが。
写真も撮っています。デジカメ君もがんばってくれている。この写真は去年の4月頃のものですが、とても明るくてきれい。今はこんなに明るくは撮れなくて、物悲しげに暗い写真になってしまいますが、それなりにかわいい写真になっています。おもしろいので、しばらく使ってみましょう。まだ新しいのは買えそうにないし。
絵はまだ描く気になれないのですが、いろいろな発想は頭の中を流れています。描き始めたら、以前とは少し違う感じのものになりそうです。おもしろいことに挑戦もしてみたい。
今朝方、末っ子がおなかが痛い、と甘えながらおきてきました。少しどこかの虫がずれているだけだと思うのですが、あまり毛糸でキーホルダーにしようと編んだチビ手袋をあげてなだめ、幼稚園におくりました。
甘える子供の髪をなでたり、胸に抱きしめたりしているうちに、知らないうちに大きくなっている子供の魂の大きさを感じました。母親が病気で何もできないでいるうちに、子供たちはその心と頭と体で、苦しいところをなんとか、なんとかしながら、精一杯やっていた。泣いてるところなんか見たことなかったな。みんなでいっしょに、がんばってた。
苦しさを紛らすために編んでいたセーターやベストを、子供たちは毎日そればかり着てくれるのです。それ以外は着てくれなくて、もう汚れて、すりきれて、よれよれになってるのに、今日も着ていきました。
苦しいときを耐えていくとき、何より感じるのは、人の魂の厚さ、大きさです。こんなことさえ、君はがんばるのか。やれるのか。
おととい、久しぶりに末っ子と一緒のふとんで寝たとき、隣でちょっと居心地の悪そうな子供の吐息を感じながら眠りました。もう、お母さんと一緒に寝なくてもいいんだな。大きくなったんだな。
ほんとうにみんな、がんばってくれた。
あともう少し。わたしもがんばる。