世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ルクレティアとタルクィニウス

2014-03-21 03:26:34 | 虹のコレクション・本館
No,99
シモン・ヴーエ、「ルクレティアとタルクィニウス」、17世紀フランス、バロック。

これはローマ時代の史実をもとにしたよく描かれるテーマだが。

ルクレティアは貞淑な妻だったが、ある日彼女に邪心を抱いた男によって凌辱され、それを苦に自害してしまう。

ヨセフとポテパルの妻の話よりも、こっちの話の方が世の中にはたくさんあるね。言うまでもないことだが。古来から男はこういうことばかりしている。
好みの女が人妻だったら、それはひどいことをするんだよ。

これと同じテーマを、ティツィアーノも描いているが、そっちの方は苦しいので選ばなかった。ティツィアーノはそんなことができる男ではない。なので場面の中の男は、真面目な男が芝居で無理矢理強姦魔をやらされているという感じがする。女の方も芝居をしながら、男に遠慮しているような風がある。

その点この図はけっこう衝撃的だ。男の馬鹿を描ききっている。

実際ね。性欲に我を失った男と言うのは、みっともないよ。馬鹿にしか見えん。ちょっとはこれを見て冷静に自分を見ろと言いたいね。




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ヨセフとポテパルの妻

2014-03-20 03:31:29 | 虹のコレクション・本館
No,98
オラツィオ・ジェンティレスキ、「ヨセフとポテパルの妻」、17世紀イタリア、バロック。

この画家からはこの絵を選んでみた。
女性の方からせまっていったという、数少ない神話だね。
だがもちろん、こういうケースはまれだよ。女性のほうから男によっていく例もあるにはあるがね、そういう場合、男はたいてい、遠慮なくいただく。
ヨセフのようにあわてて逃げる男はいない。あ、孔子は逃げたがね。

いやほんと。あったんだよ、こういうことが。

実にね、言いたくはないのだが、こういうことになる男は、あれくらいだよ。少なくともわたしは、あれ以外に見たことはない。つまらんことを言うなと言うのではない。それくらい、珍しい事件だったのだ。ある日突然女性に襲われたんだよ。ほんとうだ。猛然と逃げたぞ、あれは。もう二度と女はいやだと思ったそうだ。

女性はふつう、どんないい男にでも、自分からベッドに誘ったりはしないよ。デートに誘うくらいはあるかもしれないが。こういう神話は、ほとんど男の側の都合のいい妄想なんだが。

いい男はいっぱいいるんだが、あそこまでやられるのはあれだけだね。ため息が出るほど、もてとったよ。要するに人間は、ああいうタイプが好きなのだ。真面目一本で超かわいいやつ。

だが、うらやましがるものではないぞ。孔子は何度も、女にひどい仕返しをされていた。なんとなくわかるだろう。ヨセフもひどい目にあったしね。

もて男なんぞ夢見るのではない。もてても、いいことなんか何もないぞ。ろくなことにはならんのだ。この絵をみて、勉強することだ。




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人間の堕落

2014-03-19 03:07:45 | 虹のコレクション・本館
No,97
ヒューホー・ファン・デル・フース、「人間の堕落」、15世紀フランドル、北方ルネサンス。

アダムとイヴのテーマを描いた絵を探した。北方ルネサンスの絵は生真面目さが心地よい。

神話では、蛇に誘惑されたイヴが、アダムに知恵の実を食べることをすすめて、人間の堕落をまねいたことになっているが、これははっきり言って、うそだ。男は昔から、自分のやったことを、女になすりつけてきたんだよ。本当は、先に知恵の実を食べたのは、アダムの方だ。

イヴはまだ、悪さができるほどに、進んでいなかったんだよ。事実上、女性は、男性より若干若い魂だからだ。男の方が先に悪さをしたんだ。わかるだろう。

実際、男と女の現実を正しく見て行けば、女の悪さと言うのは、だいたい、男に先導されて起こっている。実にね、男が陰に回って女を誘惑して悪さをさせているというパターンは多い。わかるね。この汚さが、男なんだよ。

女性はここまで卑劣になれんのだ。

男は平気で、原罪の原因を、女になすりつけたんだよ。こんなことができるのが男なのだ。
わかるね。

女がしたのだ、ということにすれば、いろいろとうまくいくからさ。

このテーマは、男のずるさの象徴だと言ってよい。イヴの隣で、何も知らぬ好青年風に描かれているアダムが、たまらんね。




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誹謗

2014-03-18 03:13:47 | 虹のコレクション・本館
No,96
サンドロ・ボッティチェリ、「誹謗」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

ボッティチェリが続く。昨日の絵とはまるで違うね。これはサヴォナローラ以後に描かれた絵だが。あのみずみずしい感性が失われている。観念性が強く、人間的な構成が少々窮屈だ。古代画家アペレスの絵を再現させたというが、後の象徴主義なども思わせるテーマだ。

同じ画家とも思えない絵だが、彼の絵が前半と後半で全く違って見えるのは、実に興味深い原因がある。実は、ボッティチェリの人生をやっていた本人の霊が、途中でほかの人間の霊とバトンタッチしたんだよ。わたしとかのじょと、同じようなものだ。事情は少し違うがね。

ボッティチェリの前半と後半で絵ががらりと違うのは、やっている人間がそもそも違うからなのだ。もちろん、前半のボッティチェリのほうが技術面でも精神面でも高い成長をした魂であることはわかる。前半の魂は、ある事情が生じて、その人生を続けることができなくなったのさ。だから途中で違うやつと変わったのだ。

こういうことは、そう珍しいことではない。普通の人間でも、よくあることだよ。

しかしこの絵は、彼の後半の画業の中では最もよい絵である。人間の暴虐を端的に表現してくれている。無実の人間を大勢で嘘をついて罪に落とす。人間の馬鹿がよくやることをそのまま表現してくれている。

半裸の若者の姿で表現された「無実」を、「誹謗」がひきずっている。それを「欺瞞」と「嫉妬」が飾っている。玉座にいる「不正」の耳に、「猜疑」と「無知」がささやいている。「誹謗」の腕をとっているのは「憎悪」だ。
背後では老婆の姿をした「後悔」が、裸体の女性の姿をした「真実」を振り返っている。

このばかばかしい人間の芝居沙汰を、背景の彫像たちがあきれて見下ろしている。

おもしろいね。言いたいことはひしひしとわかる。

人間のドラマがここにある。




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2014-03-17 03:38:00 | 虹のコレクション・本館
No,95
サンドロ・ボッティチェリ、「春」部分、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

かのじょはボッティチェリが好きだった。このように、美しい少女や花をちりばめた少女らしい絵が好きだった。
元からそういうやつなのだがね。実に、男にしては、少女っぽいものが好きだ。これを言うと本人は嫌がるのだがね。

わたしなどは、智謀策謀などが結構好きだ。人の嫌がることもけっこうやるよ。馬鹿にきついお目玉をくらわすのもお手の物だ。男と言うものは、汚いことやずるいことができるということも、使えるカードとして、常に用意しておかなければならない。

まあ、そういうカードを出さねば、できないことも、あるからね。

だが彼はまるでそれができない。まっすぐにきれいにやりすぎる。それで好きなものと言えばこれだ。美しい。かわいい。楽しい。どこまで透き通っても、奇麗なものしか見えない。

これが女性でなくてなんだというのだ。いや、これを言うと本人は嫌がるのだが。

見てみたまえ。まるのまま、美しい。裏などない。そのまま美しい。普通こんな絵を描くと、その陰に汚いものを隠しているという感じがつきまとうものだが、この絵だけには全くそれがない。
かのじょの好みそのものだ。

ボッティチェリは後に、サヴォナローラに執心してこのみずみずしい表現力を失うのだが、この絵は本当に美しいね。これ以上の美人を描ける画家はいないだろう。

ただ、美しい。それのみの絵と言えば、これくらいというものだ。




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オルフェウスとエウリュディケ

2014-03-16 03:37:12 | 虹のコレクション・本館
No,94
エドマンド・デュラック、「オルフェウスとエウリュディケ」、20世紀フランス、イラストレーション。

エウリュディケとオルフェウスの神話を扱った絵を探した。エドマンド・デュラックは、20世紀にイギリスで活躍したフランス出身の挿絵画家だ。美しくファンタジックなイラストレーションをたくさん描いている。これも童話的でかわいらしいね。オルフェウスの前から消えて行くエウリュディケの瞳が悲しい。

これと似た神話は日本神話にもあるね。イザナギがイザナミを裏切った話だ。夕鶴の話などもそうだが、要するに、男が女を裏切ったために、女を失ってしまうという話だ。こういう話は、世の中に掃いて捨てるほどある。

エウリュディケもつうもイザナミも、「見てはならないと言ったのに」と悲しげな顔をして消えていく。男と言うものはいつも、約束を破る。

見るなということは、やってはならないことはやるなということなのだ。そんなことをしてはおしまいだということを、やるなということなのだ。わかるね。だが男はいつも、そんなことばかりをする。

日本神話では、イザナミはイザナギを激しく恨み、呪いの言葉を吐く。それはそれは、男の裏切りが悲しかったからだ。イザナギは妻に引導を渡した後、みそぎをして三貴神を生むが、その長女であるアマテラスに一番高いものを与えた。それはイザナギの罪の意識が働いたともいえる。女を一番偉くして、自分の失敗を償おうとしたのかもしれない。

だがそのアマテラスも、弟であるスサノヲに約束を破られ、ひどいことをされて隠れてしまうのである。スサノヲはその罪により高天原を追われ、クシナダヒメを救うために戦うことになるのだが。

男はいつもこのように、自分のしたことを償うために、いろいろとやっている。

この絵には、そういう男と言うものの悲哀の影が読み取れる。事実男はずっと、女を裏切った罪を浄めるために、いろいろとあがいてきたんだよ。





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ゾスマ

2014-03-15 03:08:55 | 画集・エデンの小鳥

ゾスマ
2014年





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本を持つ男

2014-03-14 03:09:12 | 虹のコレクション・本館
No,93
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、「本を持つ男」、15世紀フランドル、初期フランドル派。

今日は男性の肖像画を選んでみた。ここで選ばれる絵はどうしても女性像が多いのでね。男を描いた絵というと、まずこれが浮かんだ。

これは実に誠実そうな顔をしているが、馬鹿だ。目をよく見てみたまえ、好色そうな感じがするだろう。どんなに鉄面皮の下に隠しても、隠せない心が見える。

こういう男は多いぞ。スタイルやばっちりな道具で完璧に装ってはいるが、女ばっかり見ているというオーラを振りまきまくっている。
実にね。高そうな指輪をして、難しそうな本を持ち、女になど興味ないというようにあっちを向いているが、考えていることは丸見えと言うやつだ。

これがね、昔は結構通用したんだが、女も馬鹿ではない。わかるんだな。男には、もうこの手管が通用しなくなっているということに、まだ気づいていないやつが多い。

女は、いとも簡単に、こういう男の正体を見破る。甘いね。

男の肖像画には時に、こういうおもしろいものがある。かっこをつけても中身が丸見えと言うやつだ。完璧にやりまくっている分、ずいぶんと馬鹿になっている。




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バテシバ

2014-03-13 04:04:49 | 虹のコレクション・本館
No,92
セバスティアーノ・リッチ、「バテシバ」、18世紀イタリア、バロック、

バテシバをテーマにした絵を探した。レンブラントやメムリンクの絵が印象的だが、これを選んだ。実に美しいバテシバだね。ダヴィデがほれるわけだ。

説明するまでもないが一応説明しておくと、ユダヤの理想的王と言われるダヴィデはある日、水浴中のバテシバの姿をのぞき見て一目ぼれしてしまい、彼女の夫を戦地に送って死に追いやり、無理やり彼女を奪ったのである。ダヴィデの大きな汚点として伝えられている話だ。

理想的王というがね、これはどう考えても、馬鹿だよ。人として、最低だ。

バテシバの気持ちを考えてみたまえ。愛する夫を殺した男の元に行かねばならない。断れば殺される。女には、自分の気持ちなど言えない時代だったのだ。

女は金と力のある方になびくものだと、勝手に解釈してはならない。悲しみも苦しみも十分に味わっている。理不尽を感じながらも従わなければみなが困るとなれば、従う。そういう運命を、女性は背負わされてきたのだ。

男は、好きでもあきらめなければならない時はあきらめるという精神的訓練ができていない。わがままばかり言って周囲を苦しめる。結局は女が我慢するより仕方がない。

レンブラントのバテシバは悲しげで見るのが苦しい。我慢しなければならないことはわかっているが、どこで悲しみを逃せばいいのかわからない。そんな顔をしている。
耐えねばならないことを耐えていく日々に臨んでいく前に、悲しみに沈むことを自分に許している。そういう風に見える。

その点このバテシバは、まだ自分の運命を知らない。美しいバテシバを見ているダヴィデの気持ちにもなるね。だが、手を出してはいけないよ。

かのじょの幸せを考えてあげたまえ。




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眠り

2014-03-12 03:55:08 | 虹のコレクション・本館
No,91
ギュスターヴ・クールベ、「眠り」、19世紀フランス、写実主義。

これは美しく見えるが、むごい。ヤン・ファン・エイクのマリアの後で紹介すると、落差がひどいね。

これは男のエゴそのものだ。女から肉体だけを奪い、男の欲望専用のものとして描いている。人間の肉を着た木偶だ。もっと強い言い方をすれば、本物の肉体を使って作った、ダッチワイフだ。

美しい裸体画はたくさんあるがね、これは最低だ。

いずれ人間は、こんな女を必要としていたのかと、あきれるぞ。女を、こんなものにしていたのかと。

侮辱以前の問題だ。意識が幼稚すぎる。人間をこんなものにしてはいけない。

クールベはもっと馬鹿な絵を描いているがね、さすがにそっちはコレクションにあげたくなかった。
これは極上の技術を、もっとも低劣な精神にささげた例だ。




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