世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

聖母マリア

2014-03-11 04:09:26 | 虹のコレクション・本館
No,90
ヤン・ファン・エイク、「ヘントの祭壇画」より「聖母マリア」、15世紀フランドル、初期フランドル派。

これは美しい。マリアの事実云々を度外視して、取り上げざるを得ないね。人間は、純潔なるマリアをここまでたたえるのかという絵である。
崇高なる天国とはこういうものかと、見入ってしまう。

実にね、こういう女性存在が、いないわけではない。だがこうなるともう、女神の段階だ。正直、人間は、見ない方がいい。人間がいやになってくるからだ。

女性存在と言うのは、美しくなりすぎるんだよ。

隣にいる、かわいい女の子の方を、見た方がいい。その方が安心だ。そういう子の方が、いいことをしてくれる。かわいい愛で、大切なことをしてくれるよ。そういう小さな愛を、大事にしていくがいい。

美しすぎる女を見ていると、男は狂うぞ。馬鹿になりすぎぬ前に、あきらめることだ。

だがまあ、絵の中の女性なら、いつまでも見ていられる。ファン・エイクのこの絵は、天上の女神というものを、人間に見せてくれる。




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サムソンとデリラ

2014-03-10 03:32:58 | 虹のコレクション・本館
No,89
ピーテル・パウル・ルーベンス、「サムソンとデリラ」、17世紀フランドル、バロック。

ルーベンスからはこれを選んでみた。ほかにもたくさんおもしろい絵があるのだがね。まあサムソンとデリラの神話には見過ごしがたい面白さがあるのである。

どんな勇猛果敢な男も、女には弱いということだ。

ルーベンスは肉感的な女性が好きだったらしいね。夫人のエレーヌ・フールマンもずいぶんとふくよかなかわいらしい女性だ。あまり頭がよさそうでないところもよいらしい。

彼の描く女性たちはすべて、彼のこの好みによって描かれている。やせ形の美女が流行の昨今では、少々難しい絵である。美しいと思えないと思って見ている人間もいるに違いない。

だがまあ、本人はこれが好きだったのだ。ほかに理由はない。好きなんだな、これが。

だからサムソンも、デリラにはまったのである。いや、かわいい女だったんだよ。見ればすぐに吸いついてしまいそうな。もろ、好み。

勇者も油断するとこうなるのだ。女を甘くみてはならない。まあデリラは利用されていただけだったがね。

「好き」ということには特に理由はない。とにかく好きなのだ。それは重要なことだ。時に人生を大きく左右する。馬鹿みたいに熱心に、あらゆることを、好きだというだけでやってしまうのが、人間だ。

男は、好みの女に至極弱いということを、もっと勉強するべきだね。




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ホロフェルネスの首を切るユディト

2014-03-09 04:41:12 | 虹のコレクション・本館
No,88
アルテミシア・ジェンティレスキ、「ホロフェルネスの首を切るユディト」、17世紀イタリア、バロック。

女流画家では忘れることのできない名前である。いや、鬼気迫る殺人現場だね。
知ってのとおり、アルテミシア・ジェンティレスキは、若いころ絵の師によって性暴力の被害にあっている。もちろんこの絵には、それによって刻まれた、男への恨みが十分にこもっている。

召使に男の手を封じさせ、自分は男の髪をひっつかんで、男の喉にめりりと刃を入れている。動脈から噴き出る血しぶき。ああこれはもうだめだね。馬鹿なことをやったものだ。女の恨みを買うとどういうことになるかということを、男は知らな過ぎる。

本当に怖いんだよ。

まあ実際、画家はこの絵のように、加害者の男を殺してしまいたかったんだろうね。痛いほどその気持ちはわかる。女性はいつも、踏みにじられてきたからだ。男ははっきり言って、一度はこういう目にあったほうがいい。

女性はこれを見て溜飲を下げることだ。
男はこれを見て、精出してぞっとすることだ。
近い将来、これに似たことが起こるぞ。




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貝ねずみ

2014-03-08 08:42:53 | こものの部屋


      


主のない家が黒々と
田園をくいつぶしてゆく
あふれてくる虚無のためいきに
空気がさびついてゆく

いまこそわたしがゆかねば
いまこそわたしがゆかねば






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パキウス・プロクルス夫妻の肖像

2014-03-08 04:45:09 | 虹のコレクション・本館
No,87
不詳、「パキウス・プロクルス夫妻の肖像」、1世紀頃、イタリア、ポンペイ風俗画。

これはポンペイ遺跡からの出土品である。かわいらしいカップルだ。パキウス・プロクルスはパン屋であったらしい。作成年などはもちろん確定できないが、まだキリストの殺害を定かには知らなかった頃の絵だ。

人類にとって、イエス・キリストの殺害がどういう事件であったのかを思わせる。キリスト殺害以前は、人間はみなこのように、かなり単純な線をしていた。顔もかなり整っていた。思考の仕方も、単純だった。少々悪いことをしても、いつでも正義の門に帰れると、まだ信じていられたのである。

だが、キリスト殺害後、人間の思考は迷走を始める。あまりに大きな愛をあからさまに殺してしまった。それがゆえに、自分を少しでも正当化するために、複雑な論考を必要とした。それゆえに、学問や芸術が繊細に発達し始めた。人間の顔の線も微妙に歪み始め、陰が色濃く刻まれ始めた。

人類の複雑な思考能力は、キリストの殺害によって喚起されたのである。

今この絵を見ると、まるで子供に見えるだろう。何もわかってはいない。考えていることが単純に過ぎる。それはまだ、大きすぎる罪というものを、まだ人間が知らなかったからだ。

自分も神も許すことのできない、決定的な罪を犯してしまった。それはアベルの殺害よりもずっと重い。

人間はイエスを殺したことによって、大人への道を歩み始めたともいえる。




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受胎告知のマリア

2014-03-07 03:44:38 | 虹のコレクション・本館
No,86
アントネッロ・ダ・メッシーナ、「受胎告知のマリア」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

これは美しいマリアだが、何とも硬い女性だね。顔以外はないようだ。肉体の香りがない。これは、恋をしようにもできない女性だ。
しかし男はこういう女性を描き続けている。聖母マリアのイメージは強烈だ。

男はマリアを追いかけ続けている。なぜ男は女を追いかけるのか。それは女が、すぐにいなくなるからだ。なぜいなくなるのか。それは男が、女におまえが必要だと言わないからだ。だから女はそれならと、すぐに離れて行く。

だが男はそうあっさりとあきらめられない。いつまでも未練をひく。そこであらゆる手段を使って女を捕まえようとする。時には暴力的にやる。殺す。挙句の果てに女を地獄の底に引きずり落として、汚いものにしてしまう。すると男は、汚くなってしまった女がいやで、マリアのような決して汚れない女を作り、それを追いかけるのだ。

堂々巡りだ。いつまでもいつまでも、男は、いもしない女のしりばかり追いかけている。そのために、あらゆる馬鹿なことをしてしまう。

もうわかるね。なぜこの世がこんなにも苦しくなってしまったのか。
男が、好きな女に、帰ってきてくれと言えなかったからだ。

ただそれだけのことだ。

汚れなき聖母マリアは、男の理想というより、悲哀そのものだよ。




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スノゥホワイト・ロゥズレッド

2014-03-06 08:34:04 | こものの部屋

       



「自分の心に、恥ずかしいことはしてはいけませんよ。いつも心はきれいにして、人には親切にしてあげなさい」
母親はいつも、娘たちに教えました。
「賢いことは、よいことです。森は、いろんなことを教えてくれるから、たくさん勉強しなさい。知りたいと思うことがあったら、遠慮なく、鳥や動物や木や花に、尋ねなさい。みんなきっと、いいことを教えてくれるから」








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踊り子の報酬

2014-03-06 04:52:05 | 虹のコレクション・本館
No,85
オーブリー・ビアズリー、「踊り子の報酬」、19世紀イギリス、アール・ヌーヴォー。

これこそ、猟奇的だね。実に恐ろしい。
ワイルドの戯曲「サロメ」につけた挿絵だが、サロメはヨカナーンに恋するものの受けいれてもらえず、エロド(ヘロデ)王の前で踊ることの代償にヨカナーンの首を要求するのである。

もちろんこれは史実ではない。愛するあまりに相手を殺すというのは、男にはよくあることだが、女には滅多にない。

ワイルドはこの、男の中にある、女に対する殺人的な愛を、女に仮託することによって表現したかったのだろう。事実、戯曲の主人公が女ではなく男だったら、これほど美しい挿絵は描けない。

男は自分たちの中にある激しい愛を、女に変換することによって、美しく洗練させたかったのかもしれぬ。だがその美は、いかに美しかろうとも、背徳の匂いが激しく染み付く。

おもしろい作品だ。人間はこれを見ると、強く惹かれるだろう。時には、人道を排しても手に入れたい愛がある。そういうことを考える時が人間にはある。

愛というものを考える時、重要なことを教えてくれる作品だ。




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マルグリット・クノップフの肖像

2014-03-05 04:37:11 | 虹のコレクション・本館
No,84
フェルナン・クノップフ、「マルグリット・クノップフの肖像」、19世紀ベルギー、象徴主義。

象徴主義の画家は、人間の心の暗部と言うものに結構触れてくれるので、つい見てしまうね。

これは、女になりたい男の心が、あらわれている。モデルは画家の最愛の妹らしいが、画家はモデルから彼女自身を奪い、自分が彼女になってしまっている。

女であり、最愛の妹である、マルグリットに、彼はなりたかったのだ。

男には、こういう気持ちがあるね。女を愛するあまりに、愛する女そのものになってしまいたい。クノップフはそういう自分の気持ちを、絵に表現したわけだ。

彼は彼女を乱暴に犯すわけではない。殺してその肉体を奪うわけではない。象徴主義の表現の中で、魔法的に、自分とかのじょを重ね合わせ、絶妙なところで、かのじょを奪ったのだ。現実でやっては猟奇殺人になることを、架空の世界で欲求を満たしたのだともいえる。

彼女そのものに変身した自分と言うものが、どういうものであるかということを、この絵は教えている。美しいが、どこかさみしい。虚ろだ。いるように見えるが、絶対にいない。静寂の中に強烈な背徳がある。

マルグリットが目をそらしているのは、画家の本心に気づいているからだ。

芸術とはこういうこともできるものだ、ということだ。おもしろいね。




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ムーンストーン

2014-03-04 08:30:56 | こものの部屋

愛に、スペアはありません。

ひとつの愛を失っても、ほかにも愛はあるからいいと思っている方もいらっしゃるでしょう。

ですが、かのじょと同じ愛を表現できるものは、ほかにいません。

かのじょは暖かい。やわらかい。こまやかに愛する。
泣いている人間を見ると、すぐに下りてきてくれるというような天使は、かのじょだけだったのですよ。

まるで、ころんだ子供に思わず駆け寄ってくる母のように、かのじょはいつも、あなたがたのところに来ていたのです。

わかるでしょう。
顔を見れば、かのじょがそんな人だと、もうあなたがたにも、わかるでしょう。

もうあの愛はいないのですよ。

この世界に、どんなすぐれた天使がいようと、どんな美しい女がいようと、かのじょと同じ人はいないのです。

もう二度と会えないということの寒さがわかってくる頃には、もうあなたがたは凍りついている。

愛に、消えろと言ったことの結果が、どういうことなのか、わかってきたでしょう。

もはや元には戻りません。

あなたがたは今まで、このようにして、あらゆる愛をなくしてきたのです。
どれもみな、スペアのない、ただひとつの愛を、ことあるごとに侮辱し、なくしてきたのです。

そしてその寂しさを埋めるために、あらゆることをやってきた。

セックスと暴力に溺れ、きつい幻想を地上に描いてきたのは、ただ、なくしてしまった愛が痛すぎたことを、少しでも忘れるためです。

ただ一言、本当に愛している人に、愛していると言えなかった。
ただそれだけのことが、あらゆる人類史の起源なのです。


                         サビク






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