読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

バリーリードの「起訴」

2010年11月16日 | 読書

◇「起訴」(原題:THE INDICTMENT) 著者:Barry Reed 訳者:田中昌太郎 1996.3早川書房

  法廷サスペンスが好き(ほとんどがアメリカもの)で、ジョン・グリシャムとかスコット・トゥロー、フィリップ・マーゴリンな
 どは多分ほとんど読んだと思う。
  日本には法廷サスペンスというジャンルが成り立つほどの作品はないと思う。日本の法廷には検事と弁護士のやり
 とりそのものに、果たしてスリリングな場面が成り立つかどうか。
  アメリカの法廷物は緊迫した丁々発止の攻撃防御があって実に面白い。何十冊も法廷物を読むと、門前の小僧習
 わぬ経を読むの類で、いい加減アメリカの司法制度に詳しくなる。法曹界の実態も特徴も分かってくる。

  アメリカでは法曹界は政治と密接に結びついている。市長や州知事が事件捜査にすぐ容喙してくる。地方検事は州
 議員・州知事・下院議員・上院議員への一つのステップである。本書でもこの権力相関の構図がキーの一つになって
 いる。 
 
  本書のメーンテーマは大陪審制度が持つ問題点である。
  起訴するか否かを決定する大陪審制度は英米法の制度であり、沿革的には英国のマグナカルタに始まる。
 米国では憲法修正第5条に起訴陪審の規定がある。この条項は州には適用がない。しかし多くの州が大陪審制をとり、
 重罪(死刑ないし終身刑相当の犯罪)のみ大陪審の対象とする州があり、大陪審で起訴を決めるか検察官だけで起訴
 するかの選択権を検察官に与えている州もあるし、事実上大陪審制度を廃止している州もある。
 ご本家の英国はとっくに大陪審制度を廃止している。
 本書の舞台ボストンはアメリカでもWASPが多い伝統と保守の地。もちろん大陪審制度はしっかり適用される。

  起訴という公権力の行使にチェックアンドバランスを働かせる制度として設けられたものであるが、裁判における12
 人の陪審員と異なり23人の陪審員で多数決で正式起訴状を発するかどうかを決める。検察官が起訴に足ると判断し
 た証拠を提示し証人も出すが、非公開で弁護士は一切関与できない。検察官のショウだとか単に起訴を追認するだ
 けという形骸化を指摘する声もある。

  本書ではイギリスのSASとIRAサポーターの攻防に端を発し、FBIと地方警察の軋轢、嘘発見機をもだます鎮静薬
 の存在、毒殺の痕跡をまったく残さない毒物コアキやクラ―レを使った謀殺、弁護士とおとりFBIのロマンスなども織り
 交ぜて面白く仕立てているが、一度検察官にターゲットとされたとたん、仮に起訴に値せずとされても世間の眼は「う
 まく立ち回ったから起訴をまぬかれたのだろう」といった目で見られるなど、大陪審が持つ怖さを訴えている。

 バリー・リード自身弁護士の経験がある。作品は寡作で2・3年に1冊くらいしか出さない。
 「評決=1980年」、「決断=1991年」、「起訴=1994年」、「疑惑=1997年」

                 

                (以上この項終わり)

  
 

  

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