読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

年の瀬を迎えて

2012年12月31日 | その他

◇ 2012年の暮れに 
   この政権交代で日本が変わるかもしれないとの期待で発足した民主党政権が3年で瓦解した。
 大量離党、党内造反の姿をみると瓦解としか言いようがない。鳩山首相の沖縄普天間基地県外発言、
 震災と原発事故に対する菅内閣の右往左往、相も変らぬ小沢一郎の党内乱と離党騒ぎ、せっかく消
 費税増税で財政再建の道筋を付けた野田首相も保ちこたえることはできなかった。「また時計の針を
 戻してはいけない」という野田さんの悲痛な声もさすがに有権者の耳にはうつろに響いたに相違ない。
  一度舞台から消えたはずの役者がいつか聞いたセリフを声高に叫ぶ。いつか来た道をなぞるような
 気がして気が滅入る。とても長引くデフレの閉そく感を脱する感じがしない。私見では公共投資で道路
 や橋で景気浮揚を図るよりも、将来に展望が見いだせず結婚もできない若者に職を与える道を構築す
 ることが先だと思うのであるが。このまま職のない、独り者の生活保護すれすれの人が高齢化していっ
 たら一体どうするのか。道路や橋を造っている暇はないのである。憲法を変えて防衛軍を作るという選
 挙公約が大多数の国民に支持されたなどと有頂天になってもらっては困るのである。民主党に失望し、
 後先も考えず(というよりあえて目をつぶって)ヒステリックに反原発・脱原発を口走る群小政党よりは、
 現実味のある自民党をという選択から生まれた結果なのではないだろうか。勘違いをしないでもらいた
 いものだ。

  竹島や尖閣諸島で韓国・中国との緊張関係が一挙に高まった。こんな時は右翼系の論者がうごめ
 き始める。いまにも中国が攻めてくるようなことを叫ぶ。それにしても野田さんは、中国の指導陣が変わ
 るときに、よりによって尖閣国有化などとなぜ選択したのか。外交音痴の結果かはたまた現地からの分
 析情報がちゃんと野田さんまで届かなかったのか。(ちなみに石原元都知事による尖閣三島の買収は
 行く行くは国に買わせ、中国の反発から日中の外交問題化を招来し、政局化から解散、民主党の敗北
 を謀るという、その上で石原氏は国会に再登場し橋下氏とタッグを組んで与党の一角を担うという深謀
 遠慮にまんまと嵌ったというのが真相ではないか。…我輩の深読み。)

   震災から2年近く経って、残念ながら人の記憶も薄らぐのが人情。いまだに思ってもいなかった災難に
 家族を亡くし、友人や近隣の人たちを亡くし、仕事先も失って悲嘆にくれている人が多い。限られた時間
 しか家に帰れない人たち。同情はしながらも、がれきの受け入れには難色を示す被災地外の地域。みん
 なで助け合っていこうという総論には異論がなくとも、我が身に迫る現実論になるとたちどころに身を守
 る姿勢に変わる。人の絆を信じて、痛みを分け合うと誓ったはずなのに、近くにごみ集積場が来たり、ご
 み焼却場が建ったりするのはごめん、なんともやりきれない姿で、これが人間の性(さが)かと思うと情け
 ないが現実である。

  そんな憂鬱なことが続く中でもオリンピックではそれなりにみんな頑張って楽しませてもらった。暮れの
 最中(さなか)に松井の現役引退表明はショックだった。潔い引き際であるがもう彼のユニフォーム姿が
 見られないのかと思うと残念である。、上原は号泣したと白状したが、イチローは冷静だったようだ。

  そんなこんなで今年も暮れる。

  今年は秋に兄を亡くし「年賀欠礼」。11月に皆さんに年末年始のご挨拶は致しませんが…。とご挨拶状
 を出した。友人の一人からお悔やみのはがきをもらった。近頃は「年賀欠礼」の知らせをいただくことが増
 えて来た。寒中見舞いなどで音信を保つのがよいといわれてきたが、これが正しい礼法かと反省した。
  
  今年はノロウィルスが猛威をふるい、ふつう12月に落ち着くのにまだ死者などが出ている勢いである。
 知人がウィルス性急性胃腸炎で4日も寝込んだという。幸い年内に回復したが、高齢者、幼児は特に気を
 付けないといけない。

  本年も時間を見つけてこのブログを見ていただきありがとうございました。
  明年もご愛顧のほどお願いいたします。
  どうぞ健やかな身体で新年をお迎えください。
  来年はきっと良い年になることを願って。

コメント
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