読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

横浜・「港が見える丘公園」から

2015年04月04日 | 里歩き

◇ 「港が見える丘」公園から山手を歩く
  ♪あなたと二人で来た丘 港が見える丘 色あせた桜ただ一つ寂しく咲いていた~
   ちらりほらりと花びら あなたの肩に降りかかる春の夜でした~

   3月24日の横浜では桜はまだつぼみだった。
   ホテルから5分ほどの地下鉄「元町・中華街駅」から丘の階段を上り旧フランス領事館跡に出る。
   
      フランス山と呼ばれる丘の先が「港が見える丘公園」。
   真下の山下公園やベイブリッジなどが見渡せる。

    公園内の南側に「横浜市イギリス館」、「山手111番館」がある。
  
     
         フランス山・旧フランス領事館跡

     
     港が見える丘公園から大さんばし・みなとみらい地区を遠望

     
     横浜ベイブリッジを展望

     
     横浜市イギリス館(旧イギリス総領事公邸)

     
     山手111番館(アメリカ人:J・Eラフィン氏邸)

     
     岩崎ミュージアム(服飾資料博物館)

     
     横浜は富士山にも近い(外国人墓地から)

     
     山手10番館(ビアガーデン・レストラン)

 ◇港町は坂が多い
     函館・小樽・神戸・長崎・サンフランシスコいずれの港町も坂が多い。
     坂が多いと街並みが変化に富む。歩を進めるに従って周辺の景観が変わる。
     とりわけ横浜山手地区は景観保護に努めているため、歴史的建造物に限らず
     一般の住宅も個性的で洒落た家が多い。    

     横浜が開港された1859(安政6年)年、最初に外国人居留地とされたのは関内
     だが、狭隘で低湿地であった(後に「山下」と呼ばれた)。
     1861年、関内の南側の高台をイギリス領事館に貸与、その後イギリスとフラン
     スに軍駐留地としての借り入れを認め、1867(慶応3年)年に26の広大な地区
     を外国人居留地として認めた。そこは通称「山手」と呼ばれ、不平等条約の下、
     治外法権に支配されていた。
     1898(明治38年)年条約改正によって居留地制度が廃止されたときに26地区
     が「山手町」となり横浜市に編入された。
     外国人居留地とされた折に割り当てられた地区ごとに番号が振られたために
     歴史的建造物になっている建物などは「〇〇番館」などと呼ばれている。 

     
     山手資料館(横浜市唯一の和洋併設型住宅・)

     
     山手聖公会

     
     山手234番館(西洋人向けのアパートメントとして建てられた)

     
     山手234番館-2

     
     エリスマン邸(アントニン・レイモンド設計・生糸貿易商社支配人エリスマン私邸)

     
     ベーリック・ホール(スパニッシュスタイルの洋館・生糸貿易商ベーリック氏旧邸)

     
     カトリック山手教会
     
     
     外交官の家

     
     外交官の家―2

     
      地蔵坂から富士山を望む

                                        (以上この項終わり)

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