読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

東京・谷中七福神巡り

2016年05月08日 | 里歩き

東京の七福神巡り八番目谷中七福神
 東京の七福神巡りを始めて何年になるだろうか。2006年の1月、ボランテイァ仲間7人と「浅草名所七福
神巡り」をやったのが初めてである。このときは10社を回った(福禄寿と寿老人が2カ所ある)。
 その後夫婦で春先の歩き易い陽気に誘われて歩くことが多くなった。今年は港七福神を歩いた。これまで
深川、日本橋、柴又、小石川と合わせて7か所を回ったことになる。全部で32あるのでまだまだだ。

<東覚寺>北区田端2-7-3  (福禄寿)
 JR田端駅から歩く。西に歩いて信号一つ目で右の道を入ると「東覚寺」。福禄寿の寺であるが、外からは
むしろ赤紙仁王尊の寺として知られているようだ。福禄寿の標もない。


            

            

 <青雲寺>荒川区西日暮里3-6-4  (恵比須)
  次はJR西日暮里駅に近い「青雲寺」。恵比須様である。ここも恵比須様の手がかりもない。
 「谷中七福神巡り」は七福神めぐりでは江戸時代からで最も古い歴史を持つというが、寺はそんなこと
 は当寺は関知しませんといった感じで寂しい。
  途中に今や都内でも珍しくなった銭湯があった。道灌山の「千歳湯」。その先には「開成学園」。超難
 関校とは聞いていたが、こんなところにあるとは知らなかった。江戸っ子の家内は知っていた。

  青雲寺は修性寺とともに「ひぐらしの里」の「花見寺」と呼ばれるほど江戸期の庭園名所だったらしい。
 なかなか風格のある堂宇である。
  境内の一隅に滝沢馬琴の筆塚がある。

            

        

 <修性院>荒川区西日暮里3-7-12 (布袋尊)
  「青雲寺」を出て少し行くと「修性院」がある。山の斜面を利用して広大な庭園に、数多の華樹が咲き
  乱れたという。今は後ろには「第一日暮里小学校」が建っていて当時の面影はない。
   ここいらから日暮里にかけてとにかく寺院が多い。

  

 <天王寺>台東区谷中7-14-8  (毘沙門天)
  修性院の道はまるで江戸時代の宿場町のように曲がりくねっていて、楽しい。やがて道はJR日暮里駅
 北口につながる「谷中銀座」にぶつかる。「こどもの日」という旗日に当たっているせいか大変な人出
 である。

                

  

     「天王寺」は日暮里駅からほぼ線路沿いに進むと近い。立派な境内と堂宇、趣のある通用門が見事で
 ある。

             

  <長安寺>台東区谷中5-2-22  (寿老人)

  天王寺は広大な谷中霊園の北の端にあるが、一旦諏訪台通りに出る。そこに「長安寺」がある。
  この寺はまるで民家のようで、しかも寿老人のよすがもなく七福神巡りとしてはいかにも呆気ない。

            
 
   <護国院>台東区上野公園10-18  (大黒天)
   谷中6丁目の信号を渡り、突き当たりの「護国院」が大黒天である。元来が上野寛永寺の一院で
  あったという。ここも何とも言えない風格のある寺院である。絵にもなる。

         

  <不忍池弁天堂>台東区上野公園2-1  (弁財天)
  護国寺を出て、上野高校を経て上野動物園に。ここも大変な人出だということが子供らのにぎやか
 な歓声などでわかる。森鴎外の居室があった「鴎外荘」で昼食をと思ったが、同じことを考えた人た
 ちが並んで待っているのを見て諦めて進んだ。その先に最後の弁財天の住まう「弁天堂」。ここは天
 海僧正が不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島弁財天を勧請して建てたのが寛永初年。今では上野寛永寺
 にとって清水道と並んで欠かせない観光名所である。ここも結構人が多かった。

             

                                   (以上この項終わり)

  

 

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