読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

車谷 長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』

2017年12月23日 | 読書

 ◇ 『赤目四十八瀧心中未遂』 著者:車谷 長吉(くるまたに ちょうきつ)
              1998.1 文芸春秋 刊  

  

  私は車谷長吉という作家は名前は知っていたが読んだ作品はなく、全くなじみがなかった。
 なぜこの作家の作品を読んでみようと思ったかと言えば、購読しているN紙朝刊で高橋順子と
 いう詩人が、夫車谷長吉と四国札所巡りをしたことが載っていたことから、どんな作品を書い
 ているのだろうと関心を持ったからである。たまたま図書館で手にとった作品が彼が第119回
 直木賞を取った『赤目四十八瀧心中未遂』であった。

  これは私小説である。この時代を映し、一見暗い独特の独白めいた文体であるが、当時の時
 代風景や情景が目に浮かんくる。ちょっと丸山健二っぽいところがあるが彼ほど思索的でなく、
 文体が独特で直木賞らしい雰囲気がある。適度に情感がこもってい読み易いところがよい。

  大学を出て東京で会社勤めを始めたのに、20代の終わりに身を持ち崩した「私」は無一物に
 なる。以降9年間、その日暮らしの流失の日を送る「気が腐るほど真面目な」「たちのわるい難
 儀な男」だった。名は生島。
  その頃は大阪阪神電車出屋敷駅駅近くのアパートの一室で焼鳥屋のモツ肉や鶏肉を串に刺す
 仕事をしていた。その老朽アパートには年輩の娼婦やごみ漁りをする老夫婦、入れ墨彫り師な
 どが住んでいた。生島はアヤちゃんという色白の女に懸想した。アヤちゃん彫り師の情婦だっ
 た。

  ある夜アヤコ子が生島の部屋を訪ね、二人は抜き差しならない関係になる。それからは彼は
 始終彫り師の探るような眼差しを恐れるようになる。
  そして二人のことが露見したのか、ある日生島はアヤコに駆け落ちを迫られる。  
  「うちを連れて逃げて。この世の外へ」尼崎、大阪天王寺、赤目四十八瀧(三重県名張)へ
 とさ迷う二人。生島は正直この道行きから逃げ出したいと思った。

  結局二人は死んで結ばれることはなかった。心中未遂である。
 「うち生島さんを殺すことは出来へん」そう言ってアヤ子はヤクザの兄の借金のかたに売られ
 て博多の苦界に去る決意をしたのである。

  そして生島38歳。また会社員になった。
  がらんとしたアパートの一室で肝臓と心臓の病気で倒れた。

 ・・・このざまを「精神の荒廃」という人もいる。人が生きるためには、不可避的に生きる
 との意味を問わなければならない。
「言葉として生きる」が私には生きることだった。ただ
 「世
捨てて生きたいという気持ちだけは捨てられなかった」。(生きたいというからには自
 暴自棄
ではない)

  作者は71歳で亡くなった。晩婚で48歳の時に高橋順子と結婚した。四国行脚を誘ったのは
 妻からであるが、長吉は小説のモデルにした人々に詫びて歩きたいと言ったという。
  作家の近親者などここまで書くかと思うくらい過去の秘密を暴かれる。親しい人もそうで
 ない人も、隠しておきたい過去を明かされてつらい思いをした人もいるに違いない。そうい
 う意味では作家というのは因果な仕事であるが、多少は申し訳ない気持ちを持っているだろう
 と思ってはいたが、その事実をここではっきりと知って幾分すっきりとした。


                                 (以上この項終わり)

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