読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

葉室 麟の 『蜩ノ記』

2019年06月04日 | 読書

◇『蜩ノ記』  著者:葉室 麟   2012.11 祥伝社 刊

  

  第146回直木賞受賞の時代小説。
  なにしろ小説としての結構が素晴らしい。武士としての凛とした生き方。共に思いやる家族愛。
 藩内中枢の権力争い。男同士の友情。百姓一揆、ひそやかな愛の成就など、盛り沢山な材料が織
 りなす事態の進展が緩急自在で読み手を魅了する。やや甘いところもあるが、読み甲斐があった。

  主な舞台は豊後・羽根藩という多分小藩の向山村。奥祐筆・檀野庄三郎は城内で刃傷沙汰に及
 ぶも特命を受けて切腹を免れる。
  家老中尾兵右衛門が下した特命とは。今を去る7年前、元郡奉行戸田秋谷は江戸詰用人の頃前
 藩主の側室お由の方と不義密通を起こした廉で切腹を命ぜられた。しかし当時藩主より家譜編纂
 を命じられていたことから藩内向山村に幽閉。切腹は家譜編纂まで10年間猶予された。これが7
 年前のこと。庄三郎は戸田の監視役と家譜の清書役として残り3年間戸田と過ごすことになる。
 家老中尾は命じた「戸田が臆病風に吹かれ逃げるときは本人だけでなく、元より妻子ともども切
 り捨てよ」。戸田家には妻織江のほか年頃の娘薫、元服前の長男 郁太郎がいる。

  
庄三郎は戸田と起居を共にするうちに、3年後に切腹を覚悟しながら泰然自若、悠揚迫らぬ姿勢
 
に次第に尊敬の念を強くをする。

  家譜を清書する庄三郎は戸田の編纂記録「蜩ノ記」を開き、戸田の密通事件、現藩主の生母・
 お美代の方の出自に関する「由緒書」の記録などが家譜にどう書かれるのかが興味の的になる。
  庄三郎の戸田家監視の役目は2年経った。次第に薫が気になりだして、偶に一緒に長久寺の住
 職慶仙を訪うときなどは胸がときめく。彼女が自分をどう思っているのか気になって仕方がない。

  盆踊りのさなか、中尾家老と結託し甘い汁を吸っていると噂されている播磨屋の番頭が殺され
 また悪辣な年貢徴収役の郡方矢野啓四郎が何者かに殺される。
  犯人を突き止めようとする郡方目付は、矢野に盾つき身をくらました万治の息子で郁太郎の親
 友源治を拷問で責めたて、ついに死に至らしめた。
  郁太郎は源治の死の原因は家老にありと、責めを糺しに一人家老の家に向かう。庄三郎は秋谷
 の許しを得て道案内として付き添う。
  この後郁太郎と庄三郎が家老に真っ向勝負を仕掛け、あわやのところまで追い詰める痛快な場
 面もあるが、「源吉の家族を磔にするぞ」との脅しで万事休す。その後秋谷の登場で最後の盛り
 上がりを見せるのであるが。やんぬるかな。

 『蜩ノ記』は必ずしも時代小説に見られがちな勧善懲悪の構図にはなっていない。確かに一部の
 悪人は悪行の咎を受けてはいるが、巨悪の家老中尾兵右衛門や播磨屋の主などは何の咎も受けず
 生き残った。懲悪といえば最後に戸田秋谷が家老の胸ぐらをつかんで思いっきり殴りつけたのが
 痛快な仕返しであったくらいである。
  
  
秋谷はかねての定め通り8月8日に切腹し果てた。その前に庄三郎と薫の祝言を挙げたのと、
 郁太郎の元服がせめてものはなむけになった。
  実は不義密通はなかった。命ぜられた家譜編纂を完成させながら、従容と切腹するのはなぜか。
 殿の命令に従い、武士の意気地を立てただけなのか。家老の中尾は言う「秋谷は源吉という子を
 死なせてしまったわしに代わって切腹するのだ。村の百姓たちはだからこそその心を慮り一揆を
 思いとどまったのだろう。秋谷には大きな借りができた」。
 「10年もたてば秋谷の子がわしを倒しに来るであろう。それまでなんとしても家老の座にしがみ
 ついておらねば」。
 悪人はしたたかである。
  
(以上この項終わり)
  

 

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