◇ 『センセイの鞄』
著者:川上弘美 2004.9 文藝春秋社 刊
友人のY氏から勧められて初めてお目にかかる作家川上弘美さん。芥川賞作家という
ことは存じ上げていたが、作品に触れるのは初めて。読書家のY氏の推薦だけあって、
なかなか面白い作品である。文章が素直な所為かすらすら読める。主人公はほぼ二人
に絞られるせいか、この二人の感情の流れがすんなりと頭に理解できて、心地よい。
作中人物と同世代のせいかもしれない。
主人公の一人大町月子さんは40歳直前の独り者。一方もう一人の主人公センセイは
大町さんの出た高校の国語の先生。御歳は80直前かもしれない。二人は行きつけの飲
み屋で再会し、頻繁に顔をあわせ、酒の肴も好みが似ているなどして気が合って、ぽ
つぽつ話をかわす間柄になる。
飲み屋の大将に誘われてキノコ狩りに行ったり、酔いつぶれて先制の部屋に押しか
けたりするが、ツキコさん(センセイはそう呼ぶ)は「私センセイが好きなんです」
などと口走ったりするのに、なぜか男と女の関係には至らない。それはセンセイが15
年前先生の下から出奔し5年前に死んだ妻のことが忘れられないからかもしれない。
ツキコさんはそう思うと「このくそじじい」などと悪態をつきたくなるがやはり先
生が好きなのだ。
1・2カ月会わないこともあるが、根が酒好きでほかに行きつけの店もないのでまた
会うことになる。お互いにきっかけをつかめず、目が合いそうになるとわざとそらし
たりするところが子供っぽくて作者もうまく表現するなと思う。
先生が風邪をひいて月子さんが訪ねて行くシーンがある。センセイは「こんな夜中
にご婦人が男性を訪ねたりするものじゃありません」などと言ったりしながら二人で
お茶を飲んで別れる。淡い交わり。そんな交際もあるのだ。
そうした中、ツキコさんはデートに誘われる。公園の薄暗がりのベンチで「ワタク
シと恋愛を前提としたおつきあいをして、いただけませんか」といわれる。
その後二人はいろんなところでデートし、無事身体を重ねることもできた。
読み終わっていい本だと思った。哲学者の木田元さんの「川上弘美さんの小説世界
では、西欧近代のヒューマニズムによって決定された一切の隔壁が崩れ落ちる。
生物と無生物、人間と動物、男と女、成人と子供、健常者と病者、知性と感性、自然
と人間社会、さらには生者と死者とを分かってきた隔壁がすべて崩れ去り、それによ
って隔てられてきたものたちが自在に往き来しはじめるのだ。」という難解で適切な
解説がまたいい。 (以上この項終わり)