◇小諸城址と藤村記念館など
別所温泉から上田までの電車の沿線には由緒ある寺院など観光地がいくつかあり、
信州観光バスと観光協会が走らせている「遊らんバス」(500円で別所温泉から塩田
平の4か所の観光地=中禅寺・前山寺・無言館・生島足島神社を巡り出発地点の別
所温泉駅まで戻る)に乗ってプチ観光をしたうえで小諸に向かう予定であった。ところ
が朝になって最小催行人員(4名)に満たないので運行しないと言ってきた。つまり乗
りたい客は我々2人しかいないということである。
仕方ないので予定より早い電車(しなの鉄道)で小諸に出ることにした。しなの鉄道は
長野新幹線が出来た時に平行して走る在来線の存廃が問題になったが、「しなの鉄道」
という第三セクターで軽井沢から長野までを運行することになった。(アプト式で有名な
碓氷峠越えの横川・軽井沢間は連絡しない。)長野オリンピック(1998.2)の頃のこと。
三セクは利用率が低いため運賃が高い。しなの鉄道の場合上田から小諸まで470円、
小諸から軽井沢まで390円。この間たかだか1時間足らず。なのに860円である。
まあそれは仕方がない。久々に旧信越線の車窓から上小地方の景色を楽しんだ。
しなの鉄道 快速軽井沢行き 小諸駅前 駅前ガーデン
<懐古園>
小諸「懐古園」は旧小諸城址である。現在は隣接して児童遊園地や動物園が置かれ、
「小諸城址懐古園」として市の管理下にある。(有料)
園内には小諸ゆかりの島崎藤村の「藤村記念館」、小諸城の歴史を綴る「徴古館」、
藤村が教師を勤めた「小諸義塾」の記念館、小山敬三美術館などがある。
懐古園は廃藩置県後小諸在住の旧士族が資金を出し合い荒れ果てた城址を整備し、
花木を植え、懐古園と称した。また本丸内に懐古神社を創建した。
小諸城はもともとは木曽義仲の武将小室太郎光兼が居館を築き、のちに大井氏が城
を築いたが武田信玄がこれを攻略、山本助と馬場信房に命じ「酔月城」を築城した。
その後信長の武将滝川一益や家康の武将松平康らが城主となり城郭に手を加え「小
諸城」が完成した。
城主はその後も幾度か交代したが、元禄15年(1702)越後の長岡藩ゆかりの牧野氏
が入り10代170年続いた。
城は城下町よりも低い「穴城」という珍しいタイプ。浅間山の火山灰が作ったいくつもの
断崖の襞が自然の要害となっている。旧JR信越線は浅間山の裾に広がる町場と城郭
の隙間を抜けようとしたがうまくいかず、やむなく大手門と三の門を横断することにした
らしい。大手門は鉄道駅の北にあるが、駅に接した「三の門」(国の重要文化財)をくぐる
と広大な城域が見事に整備され、桜の古木などが立ち並び落ち着いた雰囲気で散策で
きる。
懐古園入口へ 三の門 三の門裏側
二の丸跡、北の丸址、南丸址を見て進むと要害の空濠に架かる「黒門橋」を渡る。
天守台跡の向かいには「藤村記念館」、その先には千曲川に臨む「水の手展望台」があ
り、そこからは遥か崖下を蛇行する千曲川の流れを眺望することが出来る。
千曲川にはダムが出来て、藤村が「千曲川のスケッチ」で描いた面影はなく、今はずい
ぶん様相が変わったようだ。
その手前には、藤村の友人有島生馬の発案になる藤村の「千曲川旅情の歌」の歌碑が
ある。
二の丸跡 黒門橋 南丸址
藤村歌碑 水の手展望台から 千曲川
<藤村記念館>
島崎藤村は6年余小諸に滞在した。小諸義塾の塾長木村熊二に請われて国語と英語の
教師を勤め、ここで最初の妻冬子と結婚した。記念館にはこの小諸時代を中心に作品・自
筆原稿・書簡・写真・遺品などが集められている。これら藤村の資料はかつて歩いた中山
道・馬籠宿でもお目にかかっているが、藤村が青年時代過ごした地でゆっくりとその足跡
をたどって見ることが出来て有益であった。(有料)
藤村記念館
<徴古館>
ここは懐古神社付属の資料館で、主として小諸城主であった牧野氏を中心に小諸城の歴
史資料を集め展示してある。武将の武具・衣装、刀・銃、古文書、伊藤仁斎・勝海舟・山岡
鉄舟の揮毫(書)などが陳列されている。
興味深かったのは阿福様(おふくさま=春日局)と喜内様(竹千代=六代将軍家光公)の
ほぼ等身大の木造の展示。この時代の名工左甚五郎の作という。
桂昌院(阿玉の方)に綱吉公養育の手本にせよと家光公から託されたが、桂昌院の甥であ
った牧野康重公は伯母からこの木像を賜り、牧野家の家宝としたという。(有料)
徴古館
<小諸義塾記念館>
明治26年11月小諸の青年小山太郎の要請でアメリカ留学の教育者・キリスト教牧師の
木村熊二を迎えて興した私塾である。木村は向学の志篤い近郷の青年と寝食をともにし
高度な中等教育を授けた。しかし個性的で自由な校風の私学は画一的な国家教育制度に
なじまず、明治39年廃校となった。
三宅克己(絵画)、丸山晩霞(水彩画)、鮫島晋(数学・物理・化学)、島崎藤村(国語・英語)
など多才な教師を擁し、多くの傑出した人物を輩出した。(有料)
島崎藤村はここで「千曲川のスケッチ」、「落梅集」を刊行、「破戒」を書き始めた。
小諸義塾記念館 藤村「惜別の歌」歌碑
(以上この項終わり)