ここ最近のネガティブな書き出しで申し訳ないとは思います。
今朝は瞼の上下の隙間に花粉や黄砂が夜の間に涙で出されて結晶化してすぐに目が
開けられないほどバリバリにくっついてました。
ある意味体内自浄作用が優れているのではないかと思います。
夕方になると頭の皮膚や袖口が痒くなるのもそういう効果だと感じています。
それでも陽射しの良く当たる風の影響の少ないところに梅の花を見つけて癒される思いが
しました。
まだ鼻はやられていないので香りはしっかりと嗅ぐことが出来る幸せを感じています。
さてさてタイトルのお寺、2日前の文末に予告していたところです。
近鉄奈良線富雄駅より北へ3km「生駒上町(カミマチ)」のバス停、真弓橋の東詰めから東へ
入っていくと【真弓山 長弓寺】の石碑とその奥に鳥居が見えて、少し小さめに【伊弉諾(イザ
ナギ)神社】の石碑が建っています。
弓寺への入り口になるのですが、伊弉諾神社の鳥居であり、全山を総括するというものです。
長弓寺は聖武天皇御宇に創建され、その守護神として伊弉諾神社が建立されたとの寺院の
説明ですが、統括する鳥居の存在は、もともとこの地は大宮であって、そこに神宮寺を置いた
のが、いわゆる軒下を貸して母屋を取られたような面白いところ。
寺院のすぐ東上には近鉄不動産造成の真弓団地が隣接し水道局の境界に真弓塚があります。
登見郷の豪族の真弓長弓の墓とか聖武天皇の弓を埋めた所とかの説があるそうです。
古代日本有数の氏族邪馬台国を主宰したともされる物部氏ゆかりの神社のひとつです。
鳥居を潜って大門から境内に入るとすぐに宝光院地蔵堂があります。
御本尊は逆修延命地蔵菩薩(県指定文化財)。
塔頭は20ケ院あったと伝えられるが、現在は円生院〔えんしょういん〕、
宝光院〔ほうこういん〕、法華院〔ほっけいん〕、薬師院〔やくしいん〕の
4坊が残っているだけです。
長弓寺本寺には住職がなく、4つの塔頭が輪番制で本堂を護持していて
ご朱印も行った月によって替わります。
それから少し東へ歩くと蓮池があり、手前を左に坂を上ると法華院。
無限向上無限愛悲の愛染明王をお祀りし御家内安全、商売繁盛、交通安全の御祈祷。
緑と野鳥に囲まれた山里で休養の宿として宿坊を解放、大和古社寺の見学の疲れを少しでも
癒していただけるようにと、法華院精進料理の華麩料理(生麩を色々に調理し、それに加え
四季それぞれの異なる山の幸、野の幸の材料の素朴さをそのままに生かした料理)が
振る舞われます。
坂を下りて蓮池を時計と逆に周りこんで緩い坂を昇ると円生院となります。
御本尊は不動明王。
長弓寺の寺号縁起は奈良時代、この地の名族である小野真弓長弓
(おのまゆみたけゆみ)が養嗣、長麻呂とともに聖武天皇に従って度々
この鳥見郷で狩猟されたことに始まります。
神亀五年(七二八年)のある日のこと、森より飛び立った異鳥を追いこれを
射落とそうとした長麻呂は、誤って父である長弓を射殺してしまいました。
自責の念から、その場で自らの懐剣により父の後を追おうとしたところをおとめになられたのが
聖武天皇でした。
陛下はその悲運な最後をご覧遊ばされ、深く憐れみを垂れ給い、行基に命じてその冥福を祈る
ためにこの長弓寺を建立なさいました。
その後、長麻呂は父の菩提を弔うため陛下の御命に従い出家し、法名発心房と号しました。
彼の妻であり長弓の実娘、白菊姫と呼ばれていた大神円生姫も同じく髪を切り仏門に帰依し
円生法尼と号しました。
円生院はこの尼僧の旧室であり長弓寺創建以来絶え間なく続く塔頭御坊であります。
さてさてあとは本堂と薬師院、そして伊弉諾神社と続くのですが、ココから先は明日のアップ
予定です。