朝のうちの地元では薄曇りの空でした。
お昼前から雲の厚みが出てきて、いつ降っても不思議でなくなって13時頃には霧雨。
大阪市内へ向かいましたら走行次第で順次降ったりやんだり。
帰りの道も大和川から南より府県境の山手までは少々多めの降りでした。
一山越えて奈良県側は小雨程度で、夜にはやみました。
明日は京都との府県境の学校のプールのバルブの点検に行く予定なんですが、運動場の
端っこなんで豪雨になったり雷なんかが心配です。
そこでタイトルなのですが・・・
このところ鼻歌になんでかついつい大阪市歌が出てきて苦笑いです。
小学校の4年生からクラブ活動は「広報部」というのに所属してまして6年では部長でした。
「広報部」とは学校の児童放送・学校新聞・廊下や踊り場などの掲示板への掲示物など、
要は職員室のすぐ横で先生の便利屋みたいなことをするクラブですね。
割と従順な子で先生達に気に入られているような子だったので、全体朝礼や運動会などは
いつも先生達のテントの下の放送設備に座っていましたし、新聞のガリ版刷の原稿作りは
遅くなったりして校長や教頭に「うどん」とか「丼もの」や「オヤツ」を差し入れてもらってたり。
模造紙にフェルトペンで掲示物なんかを作るときもそうでした。
お昼休みの放送に音楽を流すのですが、なんせ昭和40年頃の小学校ですから音楽室で
聞くような初歩のクラシックやNHKのFMで流れるようなタンゴだったりワルツだったりと
地味ぃ~なものですよね。
そんな中に大阪市の市歌がありまして、なんとなく好きだったので時々かけました。
まあ、児童たちがそんなに興味を持って学校放送を聴いているわけでもなく、耳障りに
ならない程度のBGMみたいなものです。
https://www.youtube.com/watch?v=lcYgJxE4rxw
1、高津の宮の昔より、よよ(代々)の栄を重ねきて、民のかまどに立つ煙
にぎわいまさる 大阪市、 にぎわいまさる 大阪市
2、なにわの春のあさぼらけ、生気ちまたにみなぎりて、物みな動くなりわいの
力ぞ強き 大阪市、 力ぞ強き 大阪市
3、東洋一の商工地、咲くやこの花さきがけて、よもに香りを送るべき
務ぞ重き 大阪市、 務ぞ重き 大阪市
子供でしたから意味までは理解できていませんでしたが、聖徳太子の時代の「高津の宮」
から始まる歌詞がなんとなく好きで頭に残っています。
市歌が制定されたのは大正10年4月で、 中之島の市庁舎建設を機に公募したものです。
全国から、2398編もの応募があり、森鴎外、 幸田露伴ら5氏が審査にあたり、香川県
三豊中学校長の堀沢周安氏の作詞が入選。 賞金は500円だったそうです。
現在は三豊市になっていますが、母方の祖父母の出身地で親しみもあったかも。
作曲は東京音楽学校助教授の中田章(薫)氏だったそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=tPDOZe2r_1o
ちなみに小学校の校歌もほぼフルカバーで歌えます。
が、なんの役にも立っていませんしメリットもございません。
何の画像もありませんので、この四半期3ヵ月にお客様にご馳走になったランチを記録に
残しておきます。
寛屋さんのハンバーグランチ
和幸さんのカツランチ
ステーキのドンさんのステーキランチ