昨日の足の神様 服部天神宮でもう1日お付き合いを。
何で足の神様?という疑問に西門の前に並んだ看板が答えてくれていました。
初めの方の書き出しは昔の秦の人が機織りの技術を吾が国に伝え機織部として住み着き、そんなことから
機織 服部 となった由来で始まっています。
そんなことを聞いてみると「渡辺」さんのルーツとか、いろいろ面白い話があったりしますね。
そして天神さんの一番のシンボルである梅。 大変な梅がありました。
数輪の花が咲いていました。 見ごろはもう1週間ほどでしょうか。
さて、メインとなる神社本体は昨日にほとんど紹介しました。
今日は末社などについて少々書き綴ります。
まずは祖霊社
明治三十年大阪博物館に建てられた能舞台が昭和二年大阪天満宮に移築され更に昭和五十二年
服部住吉神社に移築された時に、 同舞台の鏡の間を当宮に移築して祖霊社としたものだそうで
中央に魚名公の墓を右に祖霊社を、左に招魂社をお祀りしてあります。
初酉稲荷神社
氏神服部天神宮境内に御鎮座のこの神社は、人間生活に欠かすことの出来ない「衣」「食」「住」の
守護神である宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ→伊勢神宮外宮、伏見稲荷大社祭神)を祀り、古く
徳川時代初期から天神宮境内に鎮まり、氏子崇敬者に崇敬されてきた古社だそうです。
そして大きな絵馬に描かれた名前は
豊中えびす社
「足の神様」は「おあしの神様」に通ずるとして、昭和二十六年花屋敷鎮座の繁昌稲荷旧社殿(室町
時代の建造)を境内に移築し西宮神社の御分霊を勧請して奉祀したそうです。
妙に新しく見えると思ったら平成29年11月改築竣工でした。
本家本元の「えべっさん」と同じように、耳の遠い御祭神蛭子大神に参拝を気づいてもらうために
大阪の今宮戎は拝殿の裏手に大きなドラが2枚吊り下げられていて、バンバン叩いて祈るのですが
ここは大判の木板があって木槌をカンカン打ち鳴らすという様式でした。
もっとも、大阪・伊丹空港のすぐ近くで時々ジェット機が腹に手が届きそうな高度で降りて来るので
合間を縫って叩かないと「えべっさん」に届かないかも知れません。