1955年に始まった長野県平和友好祭典は、今年は満蒙開拓平和記念館がある下伊那郡阿智村で開催され、社民党を代表して挨拶をさせていただきました。私が青年部の頃、一時は下火になりかけた平和友好祭典ですが、1988年に反核平和の火リレーが始まり、より具体的な課題である「非核平和都市宣言」の要請、被爆者援護法の制定という二つの大きな課題を目標に取り組まれ、平和友好祭典への参加者も次第に増えてきました。
それでも60年です。今回は、満蒙開拓団の生き残りの一人である久保田諌さんのお話を聞きました。
久保田さんは、下伊那郡河野村(現在の豊丘村河野)の分村移民として14歳で満州に渡りました。満州に行けば2町歩の畑をもらえるといわれ、行きましたが元は原住民の畑を取り上げたものでした。8月15日に敗戦を知り、避難逃亡生活が始まります。翌々日、避難先で団長が原住民の襲撃を受け、「殺してくれ」と言われ、すでに女子どもしかいない中で、集団自決の道を選びました。最後に子どもの二人が石で殴りあって、気絶をしてしまい、スコールで目が覚め、一命をつなげたそうです。それからの逃避行も激しく、大連での1年3ヶ月の窮乏時代も忘れたくても忘れられないと語っていただきました。
もう後何年戦争体験を語ってくれる人がいるでしょうか。