リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

今日は暑い!

2022年06月30日 18時35分27秒 | ローカルネタ
昨日やおとといはさほど暑いとはかんじなかったんですが、今日はホントに暑いです。3時前に所用で車に乗って出かけたのですが、家を出たとたん熱気につつまれてしまいました。これは40度くらい気温が上昇したときの感じです。でもあとで知ったんですが、公式発表としては36.6度だったようです。

車のハンドルも炎天下に駐車してあったものだから熱くて触ることができません。このようなときに備えて手袋は車内の手の届きやすいところに置いてあります。そういやMINIの前に乗っていたプリウスのハンドルの樹脂部分は炎天下にさらしておいてもハンドルを持てない程には熱くなりませんでした。さすが、暑い地域で作っている車です。

用を済ませたあと、帰宅してからあずきバーが食べたくなったので、近所のスーパーに寄り道しました。



スーパーで買った帰り道に融けてしまわないかと心配でしたが、なんとか無事でした。これだけ暑いとアイスクリームなんかを買いに行くときは保冷バッグを持っていく必要がありますね。天気予報だと明日は名古屋で40度になっていました。これって、伊吹山越えフェーン現象が起こった時の気温です。ということは鈴鹿山脈越えで同様の現象が起こりますので、明日は2018年の最高気温記録39.7度を更新するかも知れません。

ミサイル着弾か!?

2022年06月12日 22時15分07秒 | ローカルネタ
コーヒー豆が切れたので、近所の店に買いに行こう車を出しましたら、東の方になんやら黒い雲が。急な雷雨が近づいているのかと思いましたが、雲にしては何か厚みがありません。国道1号線に出て北東の方を見たら、びっくり。某国のミサイルが着弾したかのような大きな黒い煙が!まさかそんなことではないでしょうけど。(笑)

国道1号線に入ったら道路はずっと渋滞していてなかなか前に進めません。国道1号線を途中で左折がコーヒー豆が売っているお店に行く道なのですが、そこまでたどり着くまでかなり時間がかかりました。やっと分岐点に到達したのですが、噴煙が気になったのでそのまま直進することにしました。(ヒマですねぇ)



カメラが広角なので煙が低く見えますが、実際はもっと高く上がっている感じです。伊勢大橋を渡って長島町に入っても道はノロノロ。煙が出ているのは弥冨あたりの感じでした。



このまま1号線で行くより、東名阪高速道路で長島から弥冨に行けば現場に早く近づくことができるかも知れません。1号線から左折して県道7号線に入り東名阪長島インターをめざしたら、また渋滞です。皆さん考えることは同じか、いえいえわざわざ見に行く暇人はそう多くはないでしょう、なんてひとりごちていましたら、テレビの音声からピピピという音がして緊急速報、「東名阪道長島弥冨間が通行止めになった」とありました。道理で渋滞しているはずです。行先は渋滞、対向車線もなぜか大渋滞。行くも帰るもできなくなりました。

よく考えてみたら対向車線が渋滞しているのは、高速道路から降りてきた車が1号線に迂回しようとしているからでしょう。迂回しようとするそこのあなた、1号線もガチガチに渋滞していますよ。

高速には入ることができないので、木曽川右岸の堤防道路を北上することにしました。堤防に上がり右前方を見ると東名阪道のすぐ近くからもうもうと黒煙が上がっていました。堤防道路で車を止めるわけにはいかないので、北上し三重県境を越えてすぐ近くの船頭平閘門まで来ました。



火災現場から数キロ北からの写真です。これ以上北上しても現場から離れるばかりで意味がないので、戻ることにしました。戻る途中で煙の色が白っぽくなっていったので消火が進んだようでした。1号線に近づくとまた渋滞が始まるだろうと思い、裏道に回りましたがやはり渋滞していました。

やっとのことで行く予定だったお店に到着したのはそれから40分以上あとでした。ネットで調べてみましたら、弥富町の倉庫から火が出たそうですが、映像から見た感じではヤードみたいなところが燃えている感じがしました。あの黒煙はタイヤが燃えた煙のようでしたがよくわかりません。おかげで2時間以上無駄な時間を使ってしまいましたが、まぁたまにはこんなこともいいでしょう。(笑)


楽翁公百年祭記念宝物館

2022年05月03日 17時16分34秒 | ローカルネタ
楽翁公とは松平定信のことです。定信は桑名に来たことがなかったのですが、白川藩主だった嫡男の定永が桑名になったとき(1823年)文化人だった父の定信の薫陶を受けた家来も来桑したため桑名の文化レベルがぐっと上がったと言われています。

私の母校の小学校(旧第一尋常小学校)の校歌は「楽翁公の明徳はわれらがこころの鏡なり、清き梅花の校章※はわれらがこころの姿なり」という歌詞で、楽翁公頌歌になっています。普通校歌ってだいたい近くにある山や川に関する内容をうたうのが通り相場ですが、桑名で最初の尋常小学校ということで気合をいれて楽翁公を称える歌詞にしたのでしょう。※松平定信の家紋である梅鉢文様です。

その楽翁公松平定信没後100年に際して今の九華公園内に作られたのが楽翁公百年祭記念宝物館です。第二次世界大戦の桑名空襲にも耐え現存しています。九華公園は桑名城跡に作られた公園です。その宝物館の開館日は年に2日、5月2日と3日のみという織姫彦星の逢瀬並みのレアさです。

今日がちょうど5月3日だと気がついた私は、すぐに出かけようとしたのですが、宝物館の開館は同時期に行われる金魚祭の一環で行われるためそもそも今年は金魚祭があるのかどうかが問題です。Webで調べたら今年も開催されません、とありました。でもひょっとして宝物館だけは開いている可能性もあるかも知れないので、天気もいいことだし現地に出掛けてみることにしました。

どうせ行くのなら昔の道を通っていこうということで、まず通ったのがこの道。

ここは江戸時代はお堀だったところです。昔の堀の痕跡はほとんど残っていませんが、お寺の横にあるこの石組みの崩れたのがその痕跡かもしれません。


吉津門の跡の桝形の道を通り抜け、


桑名城のお堀が残っているところを通ります。



下の写真の左部分に写っている2つの建物あたりは、バロック・ヴァイオリンの小野萬里さんの高祖父のお屋敷があったところです。このあたりは桑名藩の重鎮が屋敷を構えていたところ。道の向こう右すぐに桑名城入り口、画面右下左は現在の立教小学校です。


さていよいよ桑名城内に入ります。金魚祭が開催されていればここに沢山お店がならびます。


いよいよ宝物館です。

しかし残念ながら開いていませんでした。まぁそうですわね。ついでですの九華公園をぐるっとまわってみました。

これは辰巳櫓跡です。戊辰戦争で負け方になった桑名藩はここに建っていた三重の櫓に火を放って恭順を示したとされます。上の方に見える大砲もこの櫓にあったものでしょう。大砲の砲身が城内、侍屋敷の方に向いています。これは恐らく180度反対側(敵がせめてくるかも知れない海側)に向いていたのをもう戦わないことを示す意味で正反対の方向に向けたのかも知れません。


これは戊辰戦争後の明治20年に天主台跡に建てられた戊辰殉難招魂碑。「忠ナルカナ義ナルカナ・・・」と刻まれています。


せっかくここまできたので、桑名城三の丸跡にあるスーパーで牛乳を買って帰りました。




好立地のマンション in Kuwana

2022年04月24日 20時34分09秒 | ローカルネタ
最近自動車整備工場の跡地にできたマンション。バロック音楽の旅シリーズを開催する「時のホール」のすぐ近くですが、よく検討してみると(買うわけではありません)すばらしく便利なところに立地していることがわかります。

まずAスーパーへは徒歩2分くらいです。スーパーの敷地にマンションがあるという感じです。スーパーの3階の駐車場から売り場に行く時間より短いくらいです。

市役所は徒歩5分、目の前に仏壇屋とガソリンスタンド。桑名駅は徒歩7分です。(時間は私のカンです)

シロなんとかという大甘のスイーツで有名な喫茶店が徒歩3分くらいの向こう、地元のH喫茶店もすぐ近く。全国チェーンのT喫茶店もあります。図書館も。

中学校は徒歩7分くらいのところ、小学校もそのくらい。

病院も徒歩5分くらいのところにA病院があります。A病院の向かいにはK歯科医院、すぐ近くに車のディーラーが2軒あります。高速道路へは10分くらいで桑名インター、桑名東インターです。湾岸桑名インターも10分くらい。葬儀会館まですぐ近くです。

もう生活に必要なありとあらゆるものがすぐ近くにあり、あげていけばキリがないくらい。当然これは宣伝材料になるでしょうからすぐに契約がうまったことだろうと思います。ここまでそろっているのは全国的にみてもそう多くはないと思います。

そのマンションが立地しているところは、昔は南側が田んぼで鋳物工場をはじめとしていろんな工場があったところですが、それらの工場が移転してプチ再開発みたいな感じでいろんな建物や施設が出来てきたところです。これまでマンションはなかったのですが、最後に残った工場の跡地にマンションができたわけです。でもそのあたりにはもうマンションを建てる敷地は残っていませんので、最初で最後というところです。そうそう夏の花火も屋上に上がったら一等席です。そしてバロック音楽の旅コンサート会場へも徒歩2分です。

何かヘンだぞ!桑名市

2022年04月02日 18時23分37秒 | ローカルネタ
桑名市から各家庭に配布される広報くわなのデザインがリニューアルされました。それに伴ってかどうかは知りませんが、「あいりす」というイベント広報紙は廃止され、その分が「くわな社協だより」に掲載されることになりました。

くわな社協だより4月号3ページ目です。


右上の隅に、6行だけ、来月5月15日にソプラノの佐地多美さんとの六華苑コンサートの案内が載っています。曲目の案内はありません。なんかいかにもやる気のない広告です。

このページの2/3くらいのスペースに、以前「あいりす」に載っていた内容が「凝縮」されています。お年寄りは字が小さくて読めないでしょう。なお下1/3にはひとマス10000円の広告がわかりやすく陣取っています。

「あいりす」はもともとはA3ふたつ折りの4ページでした。それが2年前にA4両面に削減されました。A3ふたつ折りの時代はこんな感じでした。



チェンバロの杉浦さんと2018年に行ったコンサートの広告が出ています。写真入りで字も大きくわかりやすいです。

今月号の市の広報には六華苑のイベントも掲載されていました。



でも昨年までは六華苑のイベントは「あいりす」にまとめて掲載されていて、これでは情報がばらばらになってしまっています。市民ホールのイベントはどこに載っているのでしょうか。掲載媒体もばらばら、字も小さい、そもそも市民に情報をわかりやすく伝えるという視点が全くありません。

重要文化財である六華苑は、ずっとスポーツ・文化公社が運営を担ってきましたが、何年か前から社会福祉法人 桑名市社会福祉協議会に運営が変わり、本年度からは株式会社18banchiに変更されました。

市が文化行政にどのくらい力を入れているかは知りませんが、そもそも福祉協議会に文化財の活用を任せるのは筋違いな感じがします。そして本年度からは六華苑の運営は民間の会社に移りましたが、高い見識を持って運営されることを期待しています。

今日バロック音楽の旅15講座の企画書を担当部署に提出してきました。書類を見るなり応募要件申告書の署名がコピーをしたものでは、おっしゃる。多分万年筆の署名が達筆すぎたからそうおっしゃったのはないかと思いますが、それは失礼というもの。「つばつけてこすってみ。わかるで」と言ってやろうと思いましたがそこはぐっとこらえました。

広報にバロック音楽の旅の広告を掲載してもらっていますが、かつてそこにQRコード掲載希望を担当の方に確認しましたら、ダメの一点張りで理由はわかりませんでした。でも上の写真にありますように、今月号の広報にはQRコードが普通に掲載されています。その少し前にはメルアドも理由不明で掲載してくれませんでした。意味のわからないことが多い街です。

さて、ここに書きましたいくつかの事柄、私が関係していることのみでいわば点の集まりですが、つないでみますとなんか行政の緩みにつながっていくような感じが見えてきます。一事が万事といいます。他のもっと重要な事柄で何も問題がないことを祈っています。




大雪!?

2021年12月27日 21時37分09秒 | ローカルネタ
滋賀県の彦根市では観測史上最大、普段の30倍もの雪が降ったそうですが、その南東方向にある当地でもかなりの積雪がありました。前日の夜から雪が積もり始め、就寝するときにはすでにそこそこ積もっていました。

朝はこんな感じになっていました。



15cmくらいといった感じでしょうか。このくらいなら一応スタッドレスにしてありますので車で出かけるのもそんなに問題ありません。雪は昼過ぎにはほとんど溶けてしまい、3時頃車で出かけたときにはフロントガラスの雪をちょっと落とす程度で大丈夫でした。

昨年は積雪がありませんでしたが、桑名でも一度だけですが50cmを超える積雪がありました。多分こういうのって50年に一度というやつなんでしょう。平年は一度か二度積雪があるのが当地の冬です。積雪があるときは決まって北西か北北西から冷たい風が吹きます。

北朝鮮の白頭山で分離した寒気が合流し積乱雲が発達し(日本海寒帯気団収束帯)、それが敦賀湾、琵琶湖の東岸を通り、藤原岳を超えてくるときに桑名に雪をもたらすそうです。この収束帯は東北に向かったり山陰に向かったりすることも多いのですが、何回かに一回はこっちの方にくるようです。

伊勢湾台風襲来62周年

2021年09月26日 14時45分06秒 | ローカルネタ
今から62年前に当地方は今でいうスーパー台風「伊勢湾台風」に襲われました。被害にあった地域は三重県の北部、愛知県の南西部、名古屋市南部などで死者は5000人を超えました。

被災地には伊勢湾台風の慰霊碑が建立されていますが、桑名市内には3つの碑があります。そのうちのひとつ、昭和37年に建立された伊勢湾台風不忘碑には次のように記されています。

最大気圧940.0mb、瞬間最大風速51.3m/s、死者202名、家屋全壊259世帯、家屋流失135世帯、家屋半壊1649世帯、床上浸水4791世帯、床下浸水1138世帯、公共施設被害41億8千万円・・・



これは書かれているように桑名市内の分だけです。旧市街と低地にある田園地帯が壊滅的な被害を受けました。この床下浸水1138世帯に我が家も含まれています。

この不忘碑の場所から堤防沿いに南下して城南干拓地の突端にいきますと、伊勢湾台風殉難の碑があります。



そしてそこのちょうど対岸、長島町の長島温泉すぐ近くに伊勢湾台風水難犠牲者慰霊碑があります。伊勢湾に面しているこの2カ所はもうほとんど水没したくらいの水害に見舞われた場所です。

長島町の碑は温泉に行く観光客が多く、まだ目にすることもあるでしょうけど、城南干拓地にある碑は少しさびれているのが気になります。10年位前まではいつも新しいお花が飾られていましたが、数年前あたりからそれも減ってきていました。さらに少し前に近くにあった温泉施設が閉鎖されたこともあって近くを訪れる人や車が激減し、目に触れる機会がなくなっているかも知れません。

危険な川遊び

2021年09月21日 16時16分47秒 | ローカルネタ
先日桑名市内の員弁川(旧市街の人は町屋川と呼んでいますが)で川遊びをしていて行方不明になっていた中学生が遺体で見つかりました。謹んでご冥福をお祈りします。

とても痛ましい事故ですが、亡くなられた中学生は地元の人ではないそうです。ニュース映像によりますと県道63号線から正和台に向かう橋(坂井橋)の橋脚から川に飛び込んで遊んでいたようです。

ここは水深はそんなに深いところではないと思いますが、なにせもう10月に近いこの時期ですので水温はかなり低かったのではと思います。私が中学生の頃はもう少し下流のJR関西線の鉄橋下付近でよく泳いだものでしたが、川水は7月の終りでも結構ひんやりしていたのを覚えています。1時間以上泳いていると唇が紫色になってきて、それが川遊びを止めるサインでした。

冷たい水に長時間入っていて体温が下がり何らかの異変を起こしたのか、橋脚付近の複雑な水流に吸い込まれたのか原因はよくわかりませんが、中学生たちは川を流水プールみたいなものと考えていたのかも知れません。

私の父親も同じ場所で子供の頃泳いていたらしく(関西線は明治時代に開通しています)、どのあたりが危険な箇所かはよく知っていました。私もそれに倣ってあまりそういった箇所に近づいたりそこでもぐったりはしないようにしていました。必要に迫られて(?)近づくときは用心して近づきどう危険なのかを体で覚えていきました。町屋川は日によって水量が大きく変化します。大雨が降って2,3日は泳ぎに行くことはなかったです。

今の子供たちは水泳はもっぱらブールでしょうから、天然の川が持つ多様性についてはほとんど知らないでしょう。川遊びを推奨するわけでは毛頭ありませんが、川と言うものはどういうものかを体験的に知っておくのも大切な教育だと思います。

祝日本一!

2021年07月14日 13時40分04秒 | ローカルネタ
昨日は暑かったです。車の中もまるで猛暑のときのように熱く、冷房をMAXにしてもなかなか熱気が収まらなかったです。

夕方になって気象庁のランキングを見てみましたら、なんと35度越えで桑名が全国一の高温都市になっていました!暑かったはずです。



桑名市の気温が高温になるときは、お隣の四日市や名古屋ではそんなに暑くないときが多いようです。多分藤原岳越えのフェーン現象で暑くなるのではないかと想像しています。

今日は打って変わって全然暑くありません。お天気アプリを見ていたら雷雲が接近していましたが、今のところ雷雨には至っていません。暑いのも困りますが、雷も困ります。でもウチは昨年雷雨などによる停電の備えとして無停電電源装置を導入しましたので、停電もドンと来い!です。これから梅雨明けまでこんな天候が続くでしょうけど、落雷や水害などの災害がないよう願いたいです。

旧ゴールデンランド木曽岬温泉

2021年05月29日 18時32分20秒 | ローカルネタ
木曽川下流の左岸は愛知県になりますが、最下流の木曽岬町(きそさきちょう)だけは三重県です。長島温泉のある長島町と同様古くは尾張の国に属していたようで、ことばは関西系のアクセントではなく非関西系の尾張系のアクセントです。電話の市外局番も三重県の059*ではなく愛知県弥富市と同じ0567、郵便番号も三重県の51ではなく、愛知県内の49で始まるものが使われています。

木曽川で三重県と隔てられているので、愛知県内にある三重県の飛び地みたいな感じがしないでもありませんが、ここは飛び地とは言わないようです。(ちなみに三重県内には北山村という和歌山県の飛び地があります)平成の大合併のときも、桑名郡の多度町、長島町は桑名市と合併しましたが、木曽岬町は桑名郡のままです。

そんな木曽岬町にはかつてゴールデンランド木曽岬温泉と言う立派な温泉施設がありました。開業は昭和46年頃です。その頃車の運転免許を取ろうとがんばっていたのですが、免許を持っている人にこのあたりまで乗せてきてもらって、車の運転の仕方を教わっていたことがありました。無免許ですからゼッタイに運転はしていませんよ!ホント。そのとき建設工事中の木曽岬温泉の湯舟のところに腰かけて休憩したものです。温泉施設は食事もでき、演芸場もありなかなか立派な施設でありました。

10年くらい前、名古屋でのレッスンの帰りに立ち寄ったことがありましたが、施設は老朽化してメンテも行われていない感じでした。その時はもう食事もできず、演芸もやっていませんでした。それ以降もそのまま営業していたようですが、2019年の6月頃に廃業したようです。

最近ちょっと近くまで行く用事がありましたので、そのゴールデンランド木曽岬温泉あったところに立ち寄ってみました。

もうすっかり廃墟ですねぇ。


かつての駐車場から見た入り口あたり。


内部はこんな感じになっていました。丸いところが大浴場で、奥の方には確かお城のオブジェがありました。


ここに新しい施設を作るのは今の日本の経済状況だと難しいとは思いますが、温泉をくみ上げるポンプだけは稼働していて、モーター音がしていました。


木曽岬温泉自体はまだお隣にある料理旅館庄助で入ることができます。ここはゴールデンランドと同じ井戸だそうで、さきのモーター音は庄助に供給するためのものでしょう。


ここはシシ鍋で有名なところですが、昔一度行ったことがあります。久々に再訪してみたいところです。当地方は伊勢湾断層や、桑名四日市断層など大きな断層があるためか温泉施設がとても多いのです。そのほとんどはイケイケドンドンの高度成長時代に開業したものでした。しかしここ何年かは廃業するところが目立ってきました。残っているところはがんばってほしいものです。