リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

源氏物語とリュート

2008年04月26日 12時08分37秒 | 日々のこと
源氏物語が歴史に登場して1000年を迎えるということで、展覧会が開かれるそうです。(源氏物語千年紀展ーー恋、千年の時空をこえてーー)それを紹介する特集が日経新聞に組まれていました。

源氏物語というとはずかしながら高校の古文の授業で読んだぐらいとあと源氏物語絵巻とか屏風の一部を見たにすぎず、ほとんど何も知らないというのが本当のところです。いずれ現代文ででもそのうち読んでみようかと思っているんですが、それもまだです。(笑)かくなるは、まずこの展覧会に行って源氏の世界に触れてみるというのが一番よさそう。
新聞の同特集のコラムに、「・・・中世の人々も、必ずしも源氏物語の原文を全て読了していたわけではない。・・・」とありました。なーぁんだ、ちょっと安心しました。言語的には現代人より有利な位置にいたはずの当時の人々でもちょっと困難を感じるくらいのレベル、あるいは長さだということでしょうか。

昨日リュートを教えていて、Aさんとのレッスンが終わったあとAさんが「リュートってホントに入門時が大変なんですねぇ」とぽつりとおっしゃる。「ええ、その点では最右翼の楽器のひとつでしょう」「でもその大変なところがおもしろいんですよ」

Aさんは大変意欲的にとりくんでらっしゃる方で、リュートは調弦などが大変だし音もなかなか出しにくいんだけど、それを超えた魅力が楽器とその音楽にあるとおっしゃいます。簡単に征服できたのでは世の中かえってつまらないものなんでしょう。

16世紀頃のヨーロッパでは、貴族や僧侶などの社会階層ではねこもしゃくしもというくらいリュートが隆盛したといわれています。当時の某有名製作家が亡くなったあと、彼の(共同制作をしていた)工房には数百本分の作りかけリュートが残されていたといわれています。これも当時におけるリュートの隆盛を物語るエピソードでしょう。でもリュートがちょいちょいと弾けてしまうような楽器ではおそらく、このような隆盛はなかったでしょう。すごく魅力的だけど、ちょっと手が届きにくさを感じる、でも全く不可能ではない、その微妙な立ち位置が人気の源だったのかも知れません。そうのって、一旦触れると逆にどんどん引き込まれていってしまうものです。

このあたりは源氏物語と少し似ているような感じがします。コラム筆者の言うように、当時ですら多少の困難があったものだから、現代人なら当然。現代語に訳したところでやはり長すぎてなかなか終わりまでは行かない、でもその魅力に一旦触れるとどんどん引き込まれる。かたや一人の作者が作った世界、かたや何人かの奏者、製作家、愛好家などが共同で作った世界という違いはありますが、存在する立ち位置、魅力の深さはよく似たところがあるように思えます。