リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

黛敏郎を聴く

2008年11月09日 13時23分18秒 | 音楽系
久しぶりに黛敏郎の音楽を聴いてみました。(ナクソス8.557693J 日本作曲家選輯)黛敏郎は最近知名度が低くなってきたみたいで、若い方はあまりご存知ではないかもしれません。彼は10年程前になくなった日本を代表する作曲家ですが、題名のない音楽会という出光興産単独スポンサーの番組に毎週登場していましたし(登場というより彼が全て企画していました)、政治的な発言もするなど大変有名な方でした。民放の野球中継の開始音楽で使われる行進曲(ジャイアント馬場のテーマでもありました(笑))は彼の若い頃の作品です。そうそう0系の初期の頃の新幹線の車内放送チャイムも黛作品でした。(私はカッコいいと思ったんですが、世の中は全く反対の反応で、別のチャイムになってしまいました)でも、同年代の武満徹はやたらと有名になってしまった一方で、黛は死後武満とは正反対に急速に忘れ去られようとしているのはとても残念です。

でもリュート弾きがまたなんで黛敏郎?とおっしゃるかも分かりませんが、実は結構現代音楽は高校生の頃からよく聴いています。昔CBCで夜の9時頃でしたか、八幡製鉄コンサートという番組で当時の新進気鋭の作曲家の作品が放送されていまして、そこで黛の「無伴奏チェロのための文楽」とか「舞楽」を聴いて感動したことがありました。

しかし当時の民放もなかなか文化的だったんですねぇ。今そんな心意気のある番組なんてないですね。何でもカネ、カネ、視聴率ですから。日本は大衆迎合的で堕落してしまいました。(嘆)いつの間にこんな非文化的な国になってしまったんでしょう。(でも世界を見ると相対的にはまだ随分マシとも言えますが・・・)

そういや音楽芸術という雑誌がありまして、武満のサクリファイスという曲が「付録」についていてそれを知り合いから借りてきたことがありました。こんな雑誌が桑名市内で買えたんですから、40年前の日本ってまだ貧しかったけど文化的だったんだなぁということが時間のフィルターを通すと見えてきます。ちなみにサクリファイスという室内楽作品は、リュートが指定されている、武満の作品の中でも数少ない作品のひとつです。

さて、黛のCDですが、久しぶりに聴いてみる舞楽、曼陀羅交響曲、いいですねぇ。このCDを買った頃は、ケーブルがおんぼろだったんで、特に昔ラジオやLPで聴いたのと印象は変わりがなかったんですが、今回高級ケーブル(といってもン千円程度ですが)にしたお陰で今まで聞こえてこなかった音が一杯聞こえて、これらの曲の魅力がさらにアップしました。あとCDには若い頃の作品、シンフォニック・ムードとルンバ・ラプソディも収録されていました。いずれも20歳前後の作品ですが、いまこうして聴いてみるとあふれんばかりの才能というものを感じてしまいます。

彼は70年代に入ってから作曲活動が停滞してしまいます。生前に音楽事典にもそうやって書かれてしまっていました。これは右翼的と言われる政治的発言や行動に彼の関心が行ってしまったと思われていましたが、CDの解説によると別に才能が枯渇してしまったわけではなく、政治的立場のために作曲の依頼がぐっと減ってしまったらしいです。70年代以降はヨーロッパからの依頼でオペラの大作「金閣寺」「古事記」を書き、アンサンブルオーケストラ金沢の委嘱によるパサカリアが未完のまま、1997年に亡くなりました。

黛作品で一番有名なのが涅槃交響曲ですが、これも10年くらい前の新録音があります。でもあとはもうほとんど彼の作品を聴くすべがないんですねぇ。私は「プリペアド・ピアノと弦楽のための小品」と「昭和天平楽のLPを持っていますが、それらがCD化されても大衆迎合文化の中で育てられた大衆は買わんだろうなぁ。HMVのサイトを見てみましたら、オペラ金閣寺が売っていましたので注文してしまいました。(笑)この作品は彼が「売れなく」なった70年代以降の数少ない大作で傑作と言われていますが、テキストはドイツ語なんですよね。こういうところは彼の置かれていた立場を物語っています。