リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

久々の通奏低音用例

2020年07月17日 18時31分20秒 | 音楽系
以前HPで「通奏低音用例集」というコーナーを作っていました。(現在閉鎖中)最近「通奏低音」ということばを使った評論や小説を見かけないなと思っていましたら、久々に出ました。昨日の日経新聞の夕刊の書評です。

わかりやすさの罪(武田砂鉄緒、朝日新聞出版)、評者陣野俊史

冒頭から少し引用します。

彼の書く文章を目にしない日はないくらい、多様な媒体で武田砂鉄の書いたものに接する。普段、ばらばらに読んでいるせいで、一つの連載が持っている通奏低音に気づかないことが多い。だが、こうして単行本になった文章を読むと、その連載の狙いがわかる。・・・以下略

いやぁ、何とわかりやすいデタラメでしょう!文学系通奏低音はこういう風にも使われるんですね。音楽系通奏低音をやっている身からすると、まさに驚天動地です。ここでは「底流に流れている共通したもの」という意味でしょうけど、「底に流れる共通点」と書くより「通奏低音」って書いた方がなんとなく知的な感じがしてカッコがいいからでしょう。

私はその知的でカッコいいことをしているわけですが、この「通」と「奏」と「低」と「音」という漢字の意味から、本来のものからは全く異なる意味で使う用法に変化してしまったこの言葉、どう育っていくか今後が楽しみです。




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