リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ものは言いよう

2006年06月09日 22時56分25秒 | 日々のこと
ことばの使い方が巧みなのでいつも感心させられるのが、興和新薬の宣伝コピーです。コルゲンコーワで有名な会社ですね。最近ガソリンが高いし、運動不足気味ということもあって、出来るだけ電車で出かけるようにしているんですが、桑名駅前のでっかい看板に興和新薬のバンテリンという薬の宣伝があります。


「肩、腰、膝の痛みに薬がいち早く浸透し、塗ったところから痛みを取っていきます」


こういう宣伝って、例えば「必ず治ります」とか「一番よく効く薬です」というような、思いっきり一定の方向に振っている表現というか、断言調の言い方をするとどっかのお役所からクレームがつくんでしょうね。

バンテリンのコピーを見ると、そういった文句はひとつもないにもかかわらず、すごく効く印象を与えます。「・・・いち早く浸透し」「痛みを取っていきます」このあたりが効いていますね、多分。薬効成分がジーンとしかもすばやく皮膚から入っていって、その正義の味方の成分が、悪い痛み野郎をバッタバッタと引き抜いていく・・・いやー効くなぁーってイメージですね。

でもよく考えてみると、バンテリンって塗り薬ですよね。じゃ、すぐに薬の成分が浸透していかなきゃどうする?塗ったところから痛みを取っていく、に決まってるじゃん。塗らなかったところからは痛みを取っていくわけがないし。

以前もこの薬だったかどうかは忘れましたが、同社の宣伝コピーで「ジカに痛みを取っていきます」なんてうまい言い方をしていました。ジカに決まってますよね。(笑)成分が血管にはいって直す式の薬じゃないんですから。痛みが治るみたいな印象ですが、別に痛みがなくなるなんてひとこともいっていません。ちょっとでも取ればいいんですね。

冷静に読むと結構ウソくさい言い方ですけど(ウソはひとつもありませんが)、「あなたの肩の痛みが絶対になくなります」などというとこっちの方がウソくさく聞こえますね。興和新薬の宣伝コピーは基本的に当たり前のことをならべているだけであるにもかかわらず、すごく効き目があるような印象を与える言い方という線で統一されている感じです。きっと優秀なコピーライターがいるんでしょうね。

スイス枕

2006年06月07日 11時45分58秒 | 日々のこと
今朝起きたときいつもしている枕の柄をふと見ると、Baselの名が!
何かたまたま綴りが一致したのかなと、他の部分も見てみると、SolothurnとかFreiburgの名も!

Solothurnはスイス西部の町です。今村さんちに行くときはいつもOltenというところで、Solothurn行きの列車に乗り換えていきました。古いいい町らしいですが、結局は行きませんでした。Freiburgはドイツにも同じ名前の町がありますが、スイスのFreiburgです。ここは製作家のモーリスのところに行くとき列車が停車しました。ここも古い街で、ボブと中世リュートの勉強しているときに、Freiburgにある写本の話が出てきましたが、結局ここも停車だけで降りて街を見ることはありませんでした。

Freiburgの駅を過ぎると言葉がフランス語になります。Freiburgの街がちょうど境界線上になっているのか、ここの街の名前の表記もフランス式にFribour(だったかな?)というのも併記され、列車内の放送もフランス語になります。

いつも使っている枕にスイスにいた頃身近だった地名が書いてあって、今日初めて気が付いたなんておかしいですね。(笑)だってこの枕はスイスに行くずっと前から使っていたものですから。スイスといえばアルプスですよね。SolothurnやFreiburgなんて観光でわざわざ行くことはないところですよね。多分枕を作った人は布に印刷されている地名なんてぜんぜん気にすることはなかったんでしょう。ユーザですら買ってから何年も気が付かなかったんですから。

それにしても結局はその枕に書かれている地名のひとつBaselに勉強に行ったわけですから、これも何かの縁ですね。その枕で寝ていて夢の中ではいつもスイスに行っていたのかも。それじゃ、さて今夜も・・・(笑)

盗作疑惑2

2006年06月05日 23時31分01秒 | 随想
あの和田さんの受賞が取り消されましたね。和田さんは、「返上願いを受け付けず、盗作ではないという主張も受け入れられないままの取り消し決定は大変遺憾だ」とおっしゃっていますが。

返上するというのは、何か自分の地位や名誉に固執するようで、芸術家がするようなことではないっすねぇ。そんな世間的なものなんか目もくれずに、自分の芸術論を主張し続ければ立派だったのになぁ。三重県人として応援したのに。(あ、彼は三重県の出身です)構図はプロジェクタかなんかで投影して描いたみたいにぴったりだけど、色の塗り方なんかは厳密には随分違うんだから、全体としてはオレの創作なんだっていい続ければよかったんですけどね。世間はそれに対して冷たい視線を送り、彼はあらゆるモノが剥奪され、困窮のまま一生を終える。そういう芸術家が、100年くらい経って周りの芸術的認識が大きく変化したときに突如彼は再評価される、こんなようなことって今までにも結構あったと思います。

いや、ホントに和田さんの再評価はありうることかも知れませんよ。全く何もないかもしれませんが、時を経てみないとわかりません。それに備えて、今回の件は世間体なんか全く考えず、徹底的に自分の主張を通しておくとよかったかもしれませんね。

今のラップミュージックの世界なんか、音楽トラックは既存の音楽の切った貼ったのオンパレード、音楽を演奏や作曲・編曲する側から見れば、ドロボウもいいとこ。でも切った貼ったも上手にして、ラップの言葉やそのリズムが豊かな内容であれば、全体としてはすごく芸術的になる、ってことが最近分かりました。(実は息子がラップの修行をしているので)

この世界、著作権のことをごちゃごちゃ言っていたら成り立たない世界です。(ま、ある程度はきちんとやっているのかも知れませんが)でもラップの世界がビッグになってきたので、むしろ著名ラッパーのトラックに自分の音楽が引用されたってことが名誉になっているくらいです。盗作だーなんて言わないわけです。

芸術ってのは時間のフィルターを経てやっと世間一般に分かってくるものもありますが、実際はそういうのってそんなには多くはないのも事実ですね。バッハの音楽はすごすぎてそのすごさが世間一般にはイマイチ理解されなかったようですが、当時その価値をちゃんと理解している人もいました。でも時代を経てより多くの地域、より多くの人に聴かれるようになり、そのすばらしさがより多くの人に分かってきたわけです。いわば当時のライプチヒには彼を計る物差しがなかったということですね。

南方熊楠(1867~1941)という和歌山県出身の博物学者がいましたが、いまだに彼の業績の全貌が評価しきれないそうです。彼が生きているときはもちろん死後60年以上経ってもまだ彼を計る物差しがないわけです。で、和田さんに戻りますが、ひょっとして彼を計る物差しが今はないだけけもしれません。もっとも個人的にはあまりそんな感じはしませんが、実際の作品を見たことがないので確かなことは言えません。

盗作疑惑

2006年06月03日 23時11分54秒 | 日々のこと
和田という画家が盗作したとして騒がれていますね。世間一般的な尺度で見たら、どうみても盗作でしょうが、彼は「全ては調書でお話します」って言っています。

あそこまでそっくりさんの絵を何枚も描くわけですから、おそらく彼の盗作の基準は世間一般とはかなりかけ離れているのでは?(笑)業界には「クリソツ」という言葉がありますが、音楽の世界ではそのクリソツはあちこちにあります。作曲の場合は、メロディーの形をそのままとってさえいなければいいという基準があるようです。4小節未満ならマンマでもオーケーという話も聞いたことがあります。本当かどうか知りませんが。

音楽には色んな要素があって、例えばハーモニー進行、リズム動機、テンポ、メロディ、アレンジなどがひとつの曲の個性を形作ります。従って、メロディそのものの形が異なっていても、それ以外を同じにしたら、元の楽曲の雰囲気はいくらでも醸し出すことができます。

よく使われたのが、エンターテインメントという曲。メロディの高低以外はハーモニー進行もリズム動機もテンポも全くいっしょのクリソツというかパクリが堂々とCMで流れていましたが、こういうのは著作権違反に問われないようです。こういうのって本当は結構タチが悪いと思うんですが、堂々と通っているんですよね。和田氏はこのあたりを見ていて、なら俺も絵で同じことをしても大丈夫だし、筋が通るって思ったのかも。

現行のCMでは、キ○○ビールの宣伝に使われている音楽。スーザ作曲のワシントン・ポストという行進曲を元にしている音楽が使われている感じがするんですよね。リズム動機の転用はマンマではなく、他も結構違う部分もあるんですが、ベースの音楽がワシントン・ポストじゃないかなってパッと思ってしまうんですよね。もっとも1932年死亡のスーザは著作権が消滅しているので、堂々と使ってもいいんでしょうけど。そういや昔、オーム真理教が経営していたパソコンショップで、同じくワシントン・ポストクリソツが店の中でガンガン流れていました。信者の中で作曲が得意な人がいたんでしょうけど、こっちはかなりマンマに近いモノでした。

エ○○ビールの宣伝の音楽も、第三の男のテーマのクリソツだし・・・これを書いていたら、テレビから流れてきました。(笑)というか、これはテーマそのものかも知れませんが、メロディの後半部が少し異なっているので、クリソツなんでしょう。

こういうのってクライアントの方で「○○」という曲と全く同じ雰囲気の曲を書いてくれっていう希望が作曲家の方にだされることがあるみたいです。職人肌の作曲家は依頼通り技術の粋を尽くしてクリソツ音楽を書く、という感じですね。ま、作曲上の一つの技法ではありますね。

昔は「定旋律」と呼ばれていたスタンダードみたいなメロディがあって、それに2つとか3つの別のメロディをつけてポリフォニックな楽曲を作るという技法がありましたし(15世紀頃)、もう少し後になるとラ・フォリアみたいなバスの定旋律(スタンダードな和音進行)に変奏曲を作るという技法がよく使われました。これらはみんなに共有の作曲素材ですね。

15世紀に著作権法はありませんでしたが、あえて著作権法の網をかけてみると、定旋律に別のメロディラインをつけるのはアウト。もしその定旋律の作者が死んで50年以上たっていればオーケーです。バス・ラインに定旋律がある場合は、著作権法では全てオーケーです。音楽著作権の盗作基準はメロディのラインがどうなのかにあり、それはそれで法律家にはわかりやすいのかも知れませんが、音楽家の側から見ると非常にへんてこなもので隙だらけです。メロディラインさえ替えれば、いくら似ていてもオーケー、メロディラインをそのまま使っていてもいくらでも全く異なる雰囲気の音楽は出来ますが、それはアウトです。

要するに著作権法の基準なんて、別に絶対的なものでもなんでもなく、現代の法律や金儲けの事情に合わせて作られているだけみたいですね。芸術家たるもの、そんな世事に合わせて仕事をしているわけではないなく、創造行為とは何かということを追求しているわけですから、現代の決めごととの軋轢は出てきて当然。和田さんはそのあたりの主張を展開するのかな?

日展に出している人でルノアールそっくりの絵を描く人がいるみたいですが(名前は忘れましたが、そういう絵を確かに見たことがあります)、和田さんが「あいつの絵だってルノアールの特定の絵と同じ物はないけど、ルノアールまんまじゃん。俺の絵なんかよく見てみろよ。細部は一杯違ってるじゃん。何であいつの絵がルノアールの盗作じゃなくて、俺の絵がスギの盗作になるん?」なんて泥仕合はおもしろそうですね。ちょっと次元が低い話ではありますが。(笑)

夏は暑い

2006年06月01日 11時48分02秒 | 日々のこと
なんかこれから暑くなってきそうです。昨日は3階の天窓をあけたまま寝たんですが、ひんやりした風が上から降りてきて気持ちよかったです。部屋はちょっと暑いけど窓を開けたら冷たい風が・・・というのがバーゼルの一番暑い日のパターンでした。日本の夏が(というかまだ夏ですらないですが)このくらいで終わるわけがないのは重々承知していますが、また冷房にたよりっきりの季節が来るわけです。

夏の夜は窓を開けっ放しにしておくと蚊が入ってくるのが困りものです。天窓のところに網戸をつけたんですが、網戸固定するマジックテープがもうだめになっているので、昨夜は網戸なしの開けっ放しです。当然蚊が入ってきて、昨夜もあちこちが痒いので何回か目を覚ましました。それにウチは国道一号線のすぐそばなので、車の音が結構うるさい。まぁ、昔にくらべれば随分交通量は減ったんですが・・・ということで、夏の夜は全ての窓を閉め切って、三菱重工製電力浪費型エアコンをつけっぱなしにすることになるわけです。

古楽器演奏はそんなに暑くならない(暑くなっても湿度は低い)ヨーロッパの気候の中でされていたなので、当然高温多湿はよくないです。楽器そのものは極端な低湿度にならない日本の方がむしろ壊れにくいと思います。ヨーロッパの冬の低湿度は表面板のヒビを招きやすくすごく怖いです。もっとも日本でも夏の炎天下の車中に楽器を入れておくとか、極端なことをしてはだめですが、いわゆる冷暗所で、畳の上に直置きにするとか押入に入れっぱなしというようなことをしない限りは意外と古楽器はタフです。ケースの中にシリカゲルを一杯入れておくなんてことは無用ですよ、実際は。それをするくらいなら、板壁の部屋の壁に吊っておいた方がいいですね。でもそれは地震が怖い・・・

演奏時暑いと困るのは、奏者の方でしょう。ていうか、奏者と楽器の関係。たとえ奏者が暑さに強くても、弾いてて楽器が汗まみれになるのが困りものです。もちろんガットを使う場合は湿度が高いのは大変困ります。従って西洋の楽器、特に古楽器をアジア地域で演奏するには、部屋の冷房がかかせません。でもごく平均的なウチで部屋にきちんと冷房がかかるのがあたりまえというのは、ある程度経済水準が高い国でないとだめでしょう。日本でも私が小さいときなんて、冷房なんて普通のウチにはなく、扇風機もまだという時代でした(夜は窓を開けて蚊帳を吊ってました)から、当然古楽はだめだったでしょう。70年代始めの古楽の復興が20年早かったら日本では古楽の黎明期に一緒にスタートできる人はごく限られた人たちだけだったかも知れません。

アジア地域で古楽の芽が出ているのは韓国くらいかな。スコラには韓国からの学生が何人かいましたし。中国なんかはこれからでしょう。アジアで古楽演奏が広がるかどうかは、冷房がきちんとできる部屋が充分にあるかどうか(=ある程度の経済力)ですね。