ここ数日、ちょっとした世間話で「まちづくり」について会話する機会が複数ありました。さらに今日は神戸に復興活動の研修に行った学生たちのレポートを読み、また今朝「あまちゃん」総集編で各地の「町おこし」についてTVで紹介されていたので、仙台のまちづくりについて改めて考えてみました。
結論から言うと、仙台はどこかの街の模倣をしなくていい、と私は思っています。京都みたい、とか、ヨーロッパみたい、とかそういう「○○風」「△△調」っていう路線ではなく、仙台らしさがほかのどことも違っている方がいいです。
地方に行くとよく「小京都」っていうのがあって、それはそれで素敵ですが、わたしは京都に近いところに住んでいたので、「やっぱりホンモノの京都がいいな」と思います。京都風、というお料理や和菓子を食べても、「でも京都のやっぱりあれにはかなわない」と感じます。京都だけではありません。大阪にも奈良にも神戸にも、街並みにも食にも住人にも個性があって、同じ関西でも他のどことも違います。
仙台の人は、仙台らしさを追求すればよい。むしろどこかで「あれっ、これって仙台みたいね」と言われたり、仙台風、とまねされたりするくらいのまちづくりをめざすべきです。というようなことを考えたのは、仙台に住む人たちが、この町の魅力を発信しかねてるという気がするからです。また、震災後あらたなまちづくりが始まったこの地域が、進むべき方向性を定めかねている気がするからです。
私は景観も建築も行政も専門じゃないですが、今、震災後のまちづくりをいかに考えていくか、というプロジェクトに、人材の育成というフィールドで巻き込まれています。東北の人は奥ゆかしいし、謙遜で、それが素晴らしいところですが、自分たちが持っている財産の価値をもっと認めてほしいなと思います。ちっちゃい東京を作る必要は全然ないし、関西のようなあくの強さはたぶん合わないし、ここのよさをここのやり方で出していってほしいなと思うんです。
東北って無名の一市民のはたらきが総和としてすごいパワーになるところじゃないか、という気がしています。ただちょっと意識が違う方に行ってるかも。ほんとはすごく個性的でおもしろいものがたくさんあるから、それをどう構築して、どう見せていくかってところを考えていけたらいいなと思います。たぶん今は「だれかがやってくれるだろう」じゃなくて、「自分がやらなきゃ進まないぞ」と考えられる絶好の時なんです。主体的にこれからのまちづくりを考える。一人一人が取り組む時じゃないかなと思います。
結論から言うと、仙台はどこかの街の模倣をしなくていい、と私は思っています。京都みたい、とか、ヨーロッパみたい、とかそういう「○○風」「△△調」っていう路線ではなく、仙台らしさがほかのどことも違っている方がいいです。
地方に行くとよく「小京都」っていうのがあって、それはそれで素敵ですが、わたしは京都に近いところに住んでいたので、「やっぱりホンモノの京都がいいな」と思います。京都風、というお料理や和菓子を食べても、「でも京都のやっぱりあれにはかなわない」と感じます。京都だけではありません。大阪にも奈良にも神戸にも、街並みにも食にも住人にも個性があって、同じ関西でも他のどことも違います。
仙台の人は、仙台らしさを追求すればよい。むしろどこかで「あれっ、これって仙台みたいね」と言われたり、仙台風、とまねされたりするくらいのまちづくりをめざすべきです。というようなことを考えたのは、仙台に住む人たちが、この町の魅力を発信しかねてるという気がするからです。また、震災後あらたなまちづくりが始まったこの地域が、進むべき方向性を定めかねている気がするからです。
私は景観も建築も行政も専門じゃないですが、今、震災後のまちづくりをいかに考えていくか、というプロジェクトに、人材の育成というフィールドで巻き込まれています。東北の人は奥ゆかしいし、謙遜で、それが素晴らしいところですが、自分たちが持っている財産の価値をもっと認めてほしいなと思います。ちっちゃい東京を作る必要は全然ないし、関西のようなあくの強さはたぶん合わないし、ここのよさをここのやり方で出していってほしいなと思うんです。
東北って無名の一市民のはたらきが総和としてすごいパワーになるところじゃないか、という気がしています。ただちょっと意識が違う方に行ってるかも。ほんとはすごく個性的でおもしろいものがたくさんあるから、それをどう構築して、どう見せていくかってところを考えていけたらいいなと思います。たぶん今は「だれかがやってくれるだろう」じゃなくて、「自分がやらなきゃ進まないぞ」と考えられる絶好の時なんです。主体的にこれからのまちづくりを考える。一人一人が取り組む時じゃないかなと思います。