院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

浅野右橘先生

2006-08-03 13:18:42 | Weblog
 私の俳句の師は、浅野右橘(ゆうきつ)先生である。浅野先生が88歳でご逝去されてからもうじき3回忌である。

 浅野先生は、私が精神障害者の社会復帰施設で所長をやっていたころ、障害者の句会の指導に喜んで来てくださった。障害者差別がまだ残っていた昭和62年のことであった。

 多くの俳人に指導を申し入れたが、来てくださったのは浅野先生だけだった。このご恩は一生忘れない。

 浅野先生はホトトギスの重鎮であられた。また、伝統俳句協会中部支部の会長でもあられた。それでも私や障害者の稚拙な俳句に、いちいち肯定的な評をくださった。まことに感謝の言葉もない。

 浅野先生が若いころ、次のような俳句をホトトギスに投句した。

     冬濤や野間の灯台傾けり

 浅野先生ご自身、この句には納得がいかず、「灯台が本当に傾いてしまったら、いかんわなあ」と思われていたそうである。ところが、この句がホトトギスに掲載されたときには、次のように添削されていたという。

     冬濤や野間の灯台傾くか

 若き浅野先生は、この添削にのけぞった。これがご自身が言いたかったことだという。

 浅野先生が添削の妙に感動された話は、もうひとつ伺っている。浅野先生のそのまた師に次のような句を浅野先生は示した。

     花芒道は平湯へ下りけり

 そうしたら、浅野先生の師は、「そりゃ君、ここはこうだろう」とすぐ添削した。結果は次の句である。

     花芒道は平湯へひた下り

 浅野先生は、あっけにとられると同時に、ご自分の語彙のなさを恥じたという。

 私は豊橋に越してきてから、星野昌彦先生を師としている。浅野先生と星野先生は、180度作風が違うので、とても面白いと思っている。