精神障害者の社会復帰の壁は世の強迫性にあると喝破したのは、恩師中井久夫先生である(『分裂病と人類』、東京大学出版会)。
現代社会を見回してみると、強迫性に満ち満ちている。電車は時刻表どおりに正確に動く。家々はみな定規を引いたようにタテヨコ真っすぐである。机は正しく長方形で、曲がって室内に置くことは許されない――こういう性癖を強迫性という。
それにひきかえ、狩猟採集民族を見ると、料理をする机は木を割っただけで、決して長方形ではない。住まいも枝や葉を組んだもので、やや歪んでいて、強迫的ではない。万事アバウトなのである。
強迫的な社会を作るのは農耕民族の特徴である。彼らは精密な暦を作って決まったときに種をまき、決まったときに収穫をする。畝は正確に真っすぐで、等間隔に作られる。農耕民族は必然的に強迫的になる。
一方、狩猟採集民族は、動物や鳥が動くかすかな気配に鋭敏である。だから弓矢で獲物を捕らえることがでる。また、雑然とした茂みに隠れていて、ほとんど見えないような芋の芽を目ざとく見つけて、地下の大きな芋を手に入れる。このような認知特性は狩猟採集民族に特有で、それがなければ彼らは森や草原で生きていけない。農耕民族にはこの敏感さがない。
精神障害者の一部の人は、狩猟採集民族のような外界認知の仕方をするので、農耕民族的な強迫的社会への適応に苦労するというのが中井の説である。
世界を眺めると、先進国はみな強迫的である。すなわち農耕民族的である。少し考えれば解ることだが、農耕は大勢が一糸乱れずに協力して初めて可能である。農耕民族には富が貯えられ、やがて国家ができる。それは狩猟採集民族にはかなえられない大プロジェクトであった。
私はこの数万年間を、農耕民族が狩猟採集民族を滅ぼしてきた歴史だと見ている。農耕民族は一致協力してことに当たるすべにたけている。戦えば狩猟採集民族はひとたまりもなかっただろう。こうして農耕民族が狩猟採集民族を支配していった揚げ句の果てが現在である。われわれはみな、日本人も西洋人も農耕民族の末裔である。
そんな時代に、狩猟採集民族的な特性をもった精神障害者は生きている。彼らに、この農耕民族的で強迫的な現代社会とどう折り合いをつけてもらえるか。社会復帰活動が直面している難しい課題のひとつである。
現代社会を見回してみると、強迫性に満ち満ちている。電車は時刻表どおりに正確に動く。家々はみな定規を引いたようにタテヨコ真っすぐである。机は正しく長方形で、曲がって室内に置くことは許されない――こういう性癖を強迫性という。
それにひきかえ、狩猟採集民族を見ると、料理をする机は木を割っただけで、決して長方形ではない。住まいも枝や葉を組んだもので、やや歪んでいて、強迫的ではない。万事アバウトなのである。
強迫的な社会を作るのは農耕民族の特徴である。彼らは精密な暦を作って決まったときに種をまき、決まったときに収穫をする。畝は正確に真っすぐで、等間隔に作られる。農耕民族は必然的に強迫的になる。
一方、狩猟採集民族は、動物や鳥が動くかすかな気配に鋭敏である。だから弓矢で獲物を捕らえることがでる。また、雑然とした茂みに隠れていて、ほとんど見えないような芋の芽を目ざとく見つけて、地下の大きな芋を手に入れる。このような認知特性は狩猟採集民族に特有で、それがなければ彼らは森や草原で生きていけない。農耕民族にはこの敏感さがない。
精神障害者の一部の人は、狩猟採集民族のような外界認知の仕方をするので、農耕民族的な強迫的社会への適応に苦労するというのが中井の説である。
世界を眺めると、先進国はみな強迫的である。すなわち農耕民族的である。少し考えれば解ることだが、農耕は大勢が一糸乱れずに協力して初めて可能である。農耕民族には富が貯えられ、やがて国家ができる。それは狩猟採集民族にはかなえられない大プロジェクトであった。
私はこの数万年間を、農耕民族が狩猟採集民族を滅ぼしてきた歴史だと見ている。農耕民族は一致協力してことに当たるすべにたけている。戦えば狩猟採集民族はひとたまりもなかっただろう。こうして農耕民族が狩猟採集民族を支配していった揚げ句の果てが現在である。われわれはみな、日本人も西洋人も農耕民族の末裔である。
そんな時代に、狩猟採集民族的な特性をもった精神障害者は生きている。彼らに、この農耕民族的で強迫的な現代社会とどう折り合いをつけてもらえるか。社会復帰活動が直面している難しい課題のひとつである。