(料理の素材。ぐるなびより引用。)
この革鞄を料理しておいしく召し上がっていただきます、と豪語したのはフランス料理の有名シェフだった。フランス料理はとにかく手を加え抜いて、なんでも食べられるようにするという例えである。
一方、日本料理は手を加えるのは最小限にして、素材の味を生かすのを売りにしている。
どちらが優れているとは言えない。どちらも文化の産物だからだ。さいきん「文化的」とは必ずしも良い意味ではなくなった。文化が洗練されて学問が進歩し、原爆まで発明されるようになったからである。(「文化」と「文明」の違いはひとまず措く。)
人類が本当に動物の一種なら、獲ったばかりのナマ肉や、摘んだばかりのナマの穀物をこそ、うまいと感じなくてはならないのではないか?
冒頭のフランス料理のシェフの話は、フランス料理が手を加えすぎて素材の味がなくなっていることを批判して、日本料理の側から出された例である。
だが、日本料理のダシへのこだわり方はどうだ。かつお節ひとつ作るのに、何十工程も何か月もかかる。手の込み方はフランス料理と同じである。
そんなに素材の味、素材の味というなら、ナマ肉やナマの穀物を食べたらどうか?
※今日、気にとまった短歌
年経れば狭き独房(へや)にも住み慣れてペットのごとき蜘蛛に餌をやる (熊本県) 吉田耕一