院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

子供は未来の購買者

2007-03-16 13:09:07 | Weblog
 子供のTV番組には、いま子供が欲しそうなもののCMが多い。

 しかし、子供は未来の購買者である。ロングセラー商品は子供のうちから広告しておいたほうがよいと思う。

 太田胃散しかり、養命酒しかりである。

 私はこれらの商品を、子供のころ大人のラジオ番組で知った。

 広告は直後の利を求めず、長い目でまず商品を子供に刷り込むのが得策である。

 (むろん、変化や進歩の早い商品--TVゲームなど--はこの限りではない)。

ホリエモンは無罪

2007-03-15 23:49:46 | Weblog
 昨年この欄で私は、ホリエモンは無罪になるだろうと予測した。

 その判決が出るまで、あと10時間ほどである。判決が出てから言っても遅いから、今もう一度言っておく。

 「ホリエモンは無罪になるだろう」。

 検察権力の横暴は目に余るものがある。それは検察を監視する仕組みがないからである。「検察ファッショ」という言葉があるが、今はまさにそれである。

科学的事実

2007-03-15 13:04:04 | Weblog
 足の爪より手の爪のほうが早く伸びることは、経験的に誰でも知っている。

 自然科学の世界では、経験的に知られているだけでは科学的事実とは認められない。

 私の解剖学の恩師は、手の爪と足の爪の伸びる速さを精密に測定して、英文の論文にして英文雑誌に載せた。

 学術雑誌に載ったのは、これまでそんなことを調べた人がいなかったからである。

 論文になったことによって初めて、足の爪より手の爪のほうが早く伸びるという事実が、科学的事実として認められた。

 自然科学とは、そういうものである。実証が何よりも重要視されるのである。

ジェネリック医薬品

2007-03-14 08:36:29 | Weblog
 俳優の高橋秀樹さんがジェネリック医薬品のCMに出ている。

 「成分が同じで、効能が同じ医薬品ですが、値段が安い」と彼は宣伝している。沢井製薬の宣伝である。

 この宣伝は、「成分が同じ」という点に嘘はないだろう。しかし「効能が同じ」という部分は誇大宣伝である。

 なぜなら、元の医薬品は臨床試験をしてあるが、ジェネリック医薬品は臨床試験を省いているからである。つまり「効能が同じ」という立証がされていないのである。

 「成分が同じ、効能も同じ」なら、なぜ安いのだろうか?そこに疑問を感じて欲しい。

 要するに医薬品に対する「信用」が、ジェネリック医薬品は元の医薬品より落ちるのだ。

 「成分が同じ、効能も同じ」なら、安いはずがない。ジェネリック医薬品は「信用」が少ない分だけ値段が安いのだ。

 「信用」が価格に反映するのは、金融機関の貸出金利が「信用」が少ないと高くなることを見れば、明らかである。これは経済原理である。

「かほり」

2007-03-13 13:30:54 | Weblog
 俳句や短歌の世界で、「香り」のことを「かほり」と書く人がときどきいる。

 歴史的仮名遣いを使用するなら、「香り」は「かをり」が正しい。

 このような間違いがなぜ出てきたのか、その大もとは小椋佳さんの歌にあるのではないか?

 彼の名曲「シクラメンの香り」は「シクラメンのかほり」と書いてある。そのため、「かをり」と書くところを「かほり」と書いてしまう人が増えたのではないか?

 だとすると、小椋佳さんの影響力の大きさに感心するしかない。

天つゆ

2007-03-12 12:49:17 | Weblog
 久々にカウンターで天ぷらを食べた。

 その店は、ごま油100%だった。あつあつの出来立てを食べるのだから、まずかろうはずがない。

 ただ残念なことが一つあった。それは天つゆが熱いのである。

 私は天つゆは冷たくなくてはならないと考える者である。あつあつの天ぷらを、冷たい天つゆで冷まして食べるものだと思っている。

 第一、天つゆが熱ければ、大根おろしが煮えてしまう。

 一応、ちゃんとした天ぷら屋である。天つゆは熱いのが常識なのだろうか?それとも、私が言うように冷たいのが本式なのだろうか?

 本当のところを知りたい。

 もっとも、私が食べたのは、天ぷらのコースに漬け物、味噌汁、ご飯が付いて、1700円。こんな値段では、天つゆが熱いのどうのと、文句を言えた義理ではないのだが・・・。

囲碁の腕前

2007-03-11 09:29:39 | Weblog
 大学生のときから囲碁を始めた。そこそこに上達して、2年で6級になった。

 6級とは、初段の人に対して、あらかじめ石を6個置かせてもらって対等になるような級である。

 そこで私の上達は止まった。大学以来、現在まで6級のままである。

 私が囲碁の手ほどきをした後輩がいる。彼は1年で初段になった。でも、それ以来30年間、彼は初段より上へ行けない。

 囲碁の上達は最初の1,2年だけのようである。上達の上限が、私は6級。後輩は初段だということである。

 囲碁の才能というものがあるようだ。3段になる人も、1,2年で3段になる。それ以上にはなかなか行かない。3段止まりの人である。

 後輩は初段止まり。私は6級止まり。それが個人個人の限界なのだろう。

 初段の後輩は、囲碁は私より強いが、私が今書いているような文章が書けない。分野によって能力の個人差があることは、救いである。 

由(よ)らしむべし知らしむべからず

2007-03-10 14:51:18 | Weblog
 「由(よ)らしむべし知らしむべからず」という言葉は、民主的でない、傲慢だと悪い意味に受け取られている。しかし、この言葉は元来、良い意味の言葉だったのだ。

 この言葉は由来を論語にもつ。為政者が政策の意味を説明しても民には理解できない、という意味である。

 だから為政者は民に対しては四の五の言わずに、民の信頼を勝ち得て、民が進んで付いて来るようにせよ、という為政者の心得を説いた言葉である。

 私には信頼できる外科医が一人いる。彼に手術してもらえるなら、いちいち細かい説明なぞ要らない。確実に最善の方法をとってくれると信じているからである。インフォームドコンセントなんて彼の場合は必要ない。

 この外科医のようなあり方を「由らしむべし知らしむべからず」というのだ。繰り返すが、この言葉はもともとは良い意味に使われていたのである。 

山本夏彦さんと池田晶子さん

2007-03-09 13:44:13 | Weblog
 私は山本夏彦さんの30年来の読者だった。1ファンだった。過去形なのは、夏彦さんは3年ほど前、86歳で胃癌で亡くなったからである。

 舌鋒鋭い名コラムニストだった。JRがまだ国鉄だったころ、国鉄の組合には国労、動労以外に鉄労という至極まともな組合があることを、この人のコラムで私は知った。新聞は鉄労のことをまったく書かなかったから、私は知らなかった。

 一度だけ池田晶子さんが夏彦さんのことを批判的に書いたことがあった。でも池田さんは友人から「夏彦さんて、あなたと同類じゃない?」と言われたそうだ。

 私も夏彦さんと池田さんは同類だと思う。そして多分、私のようにファン層も重なっているのではないか。

 この二人のファンたちは、立て続けにアイドルを失ってしまった。この喪失感は当分埋まらないだろう。次なるアイドルを捜さなくてはならない。

池田晶子さん逝く

2007-03-08 13:49:16 | Weblog
 池田晶子さんの著作を知っている人なら、この「ひとりごと」が彼女に相当の影響を受けていることを、お見通しだろう。

 私は池田さんの1ファンである。池田さんの著作は全部読んだ。そして事実、強い影響を受けた。

 その池田さんが、2月23日に腎臓癌のために逝去されたと、『週刊新潮』に報道されていた。まだ46歳の若さだった。

 池田さんの思考パターンから考えて、下手な追悼は要らないだろう。だから、追悼文なぞ書かない。

 ただ残念なのは、ヘーゲルの「論理学」の池田訳が読めなくなってしまったことである。池田さんはヘーゲルの「論理学」を一読して「わかちゃった。私と同じようなことを考えているのね」と感じた人である。そういう人による訳文を、私は楽しみにしていたし、本人も翻訳を出すと言っていた。

 返す返すも残念なことである。

2007-03-07 09:21:21 | Weblog
 小学生のとき、東京・目黒川沿いの満開の桜を見て感動した。

    咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり  虚子

 この句に私が感動する原体験は、目黒川の桜にある。

 当時、目黒川沿いの桜は、すでに老木だった。今は全部植え替えられていることだろう。

 桜の女王と言えばソメイヨシノである。そのためかソメイヨシノだけを桜と思っている人が多い。

 ソメイヨシノは寿命が短い。30年くらいだろうか。ソメイヨシノは江戸時代に作られた品種である。

 だから古い和歌に出てくる桜はソメイヨシノではなく、山桜である。そのようにして読まないと古歌は理解できない。

 山桜はソメイヨシノのように咲いてすぐ散ることはない。また、野生だから群生することもない。

 私を初め、桜というとソメイヨシノを思い浮かべてしまう人たちに、ちょっと警鐘を鳴らしてみた。

新素材

2007-03-06 13:34:50 | Weblog
 新素材は、最初は実用的な製品には使用されない。まず、おもちゃに使用される。

 セルロイドがそうである。次いで出てきたプラスチックも、まずおもちゃや鉛筆のサックなどに使われた。

 万一、有害性、脆弱性など都合が悪い面が見つかっても、おもちゃなら実害が少ないからである。

 鉛筆のサックは初め金属だった。次にプラスチックのサックが現れた。当時のプラスチックは熱で解けるので、小学生だったわれわれは石炭ストーブに押し付けて、解かして遊んだ。

 今では鉛筆にサックをすること自体が少ない。鉛筆はサックをするほど高価なものではなくなった。石炭ストーブも見かけない。

 当時、われわれは本当に貧しかった。

食堂車

2007-03-05 13:31:11 | Weblog
 子供のころ列車に関する絵本や図鑑を飽かずに見ていた。

 長距離列車には食堂車がついていて、その絵解きを憧れながら眺めていた。

 長じて新幹線ができた。また、それに乗る機会が増えた。そんなとき新幹線にはビュッフェというのがあって、そこで軽食を所望できた。私はビュッフェを愛好した。

 しばらく後、新幹線に食堂車ができた。長年、憧れていた夢を果たそうと、私は食堂車に出向いた。でも、あまりに値段が高いので驚いた。

 それで敬遠されたのだろうか、そのうち食堂車もなくなってしまった。

 今でも食堂車がついた列車はわが国を走っているのだろうか?

致死遺伝子

2007-03-04 19:46:21 | Weblog
 遺伝子型にはホモとヘテロがある。AA,aaがホモ。Aaがヘテロである。

 ホモAAとaaを掛け合わせた場合、その子供たちはAA,Aa,aA,aaの4通りになる。AAを赤い花、aaを白い花、Aaをピンクの花とすると、子供たちに赤、ピンク、白が出る割合は1:2:1となる。

 これが有名なメンデルの法則である。

 ところがメンデルの法則に従わない植物がある。結果が1:2とか、1:1になってしまうのである。

 この謎はしばらく解かれなかったが、ある人が致死遺伝子という考え方を出して解決した。

 赤と白が1:1で、ピンクが出ない場合、ピンクの株には葉緑素を作る力がないことが分かった。ピンクの株は葉緑素がないので育たない。その結果が赤と白が1:1となるわけである。

 致死遺伝子を高校の生物の授業で習ったとき、私は目からウロコが落ちたことを今でも忘れない。