院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

植物の場合

2007-03-03 11:51:09 | Weblog
 昨日は動物の話をしたので、今日は植物の話をしよう。

 植物にも自然界で自力で生きられないものがある。ツルを巻かない(直立した)アサガオがそれである。

 むろん、人間が作った品種である。この品種はタネの皮が硬過ぎて、自力で芽を出すことができない。だから、人間がタネにナイフで切れ目をつける必要がある。

 毎年、人間がタネに切れ目を入れることによって、この品種は生きのびている。

野生に帰れない生き物たち

2007-03-02 13:25:26 | Weblog
 蚕は歴史的に品種改良が繰り返されてきたため、人の手を借りなければ生きられない生物になってしまったのだそうだ。蚕を自然界に放つと生きていけないという。

 他にも似たような生物がいるだろう。ブロイラーはどうだろうか?ブロイラーが野生化したなんて聞いたことがない。

 犬はどうか?野犬はいるが、彼らは人里に寄生しているのであって、自分たちで狩りはできないだろう。

 豚はどうか?猪のように逞しく野生で生きていけるだろうか?

 サラブレッドもダメだろう。足が速いだけでは、急な野山を駆け抜けることはできないのではないか?

 人は罪なことをするものである。

敬語は難しい

2007-03-01 14:27:31 | Weblog
 「よろしかったでしょうか?」というような妙な敬語をあげつらって、最近の若い者は敬語をまともに使えないという論調がある。

 敬語はもともと難しいものである。正しく使える人は、人口の5割に満たないのではないか?

 敬語が使えないのは、なにも若い者に限ったことではない。年配者の中には「ですます調」ですら使えない人がいる。

 前に鉄棒の逆上がりの例を出したが、その例がここでも使える。逆上がりのできない子は、いくら練習してもできないのであって、これはもう能力としか言えない。

 敬語も同じである。できない者は練習してもできない。そういう人が国民の過半数だということだ。できる者は、できない者を馬鹿にしないでほしい。誰にでも得手不得手があるものだ。しかも、それを世代のせいにしないでほしい。