民芸運動の本を熱く語る予定が(予定があったのか)、
すっかりこちらに気を飲まれていました。
宮城谷昌光の「花の歳月」と名前を混同するアホーにも、
ピカデリーの受付嬢は冷静に対応してくれました。
パンフレットを買い記念品をもらって映画館です。
:『花の生涯――梅蘭芳』09年公開 チェン・カイコー監督 新宿ピカデリーにて先行公開
『さらば、わが愛――覇王別姫』という映画をご存知でしょうか。
もう15年以上前の映画となりますが、やはりチェン・カイコー監督の、
京劇役者をテーマにした作品です。
本作は、この「覇王別姫」という演目を十八番とした実在の名花旦、
梅蘭芳(めい・らんふぁん)の限りなくノンフィクションに近いドラマを
描いたものです。
梅蘭芳は、「覇王別姫」の演目自体が彼の実力を最大限に引き出すため
製作されたり、彼の演じ方が敬愛され、「梅派」と呼ばれる新風を
伝統芸能である京劇の世界に吹かせたほど、実力と華のある名優でした。
映画は、パンフレットの写真にもありますが、非常に華やかな前半と、
戦火やアメリカ公演の大舞台に際する梅蘭芳の穏やかな抵抗の後半と、
まったく色が異なるつくりとなっています。
そのつなぎに、梅蘭芳をバックアップするオリジナルキャラクター、
邱如白(スン・ホンレイ)を上手く狂言回しとして入れることで、
前半と後半で役者が変わることを(当然似た人物を使っているのですが)、
抑えており見やすい印象を受けました。
往年の梅蘭芳を演じる、レオン・ライの無表情がよいです。
「芸を極めるものは孤独でなければならない」
という、(おそらく)作品のテーマに沿って、舞台を降りてもキャピキャピ
していた若年から、「舞台を降りたら一人の男」に、変化してゆく過程、
階段の上から見下ろすシーンがいくらかあるのですが、どれも口の端があまり
動かず、目の色も変わらず、映画が進むにつれてどんどん孤高になる空気を、
こまやかに演じている気遣いが感じられました。
本作は『覇王~』に比べるとハードな恋愛など感情の動きが乏しく、
宣伝媒体の美しさに比べて通してみれば一見、地味な出来に仕上がっているかと思います。
ですが、意識しているのかしていないのかは分かりませんが、『覇王~』と
同様、梅蘭芳と対象の位置に邱如白を置いた構成として捉えると、そこには
かなり激しい動きがあると思います。
梅蘭芳が動から静へと心が静まってゆくのに対し、人生をかけて彼を支え、
手段を問わず冷徹な判断をくだしながらも最後には、
憤り、悩み、絶望する動的な変化を見せる邱如白という人物の姿は、
カメラこそ梅蘭芳に向っているけれどもその影としていつも傍にある、
二人を同時に見ることで改めて、名優・梅蘭芳の生涯が浮かび上がる構造に
なっているのではないでしょうか。
歳をすこしとったせいか、丸メガネのインテリ・邱如白という人物の見せる
人間臭さを好もしく思います。「ダメな文化人」そのものの見かけですし
ほんとうはそこまで強くないのに、壮絶な喧嘩別れをしながらも、義兄として
手を差し伸べた梅蘭芳を拒絶した時の目、まったく強くないんですね。
とても弱っちい往年の姿です。ひどく情けない老いの姿です。
でも弱い彼がいるからこそ、梅蘭芳の強さが分かるのだと思います。
日本人として見なければいけないところは当然あるのですけれども、
まずそっちへ目を向けてしまう、これは人間を濃密に考えて作っているから
出来ることなのかな、と思いました。
すっかりこちらに気を飲まれていました。
宮城谷昌光の「花の歳月」と名前を混同するアホーにも、
ピカデリーの受付嬢は冷静に対応してくれました。
パンフレットを買い記念品をもらって映画館です。
:『花の生涯――梅蘭芳』09年公開 チェン・カイコー監督 新宿ピカデリーにて先行公開
『さらば、わが愛――覇王別姫』という映画をご存知でしょうか。
もう15年以上前の映画となりますが、やはりチェン・カイコー監督の、
京劇役者をテーマにした作品です。
本作は、この「覇王別姫」という演目を十八番とした実在の名花旦、
梅蘭芳(めい・らんふぁん)の限りなくノンフィクションに近いドラマを
描いたものです。
梅蘭芳は、「覇王別姫」の演目自体が彼の実力を最大限に引き出すため
製作されたり、彼の演じ方が敬愛され、「梅派」と呼ばれる新風を
伝統芸能である京劇の世界に吹かせたほど、実力と華のある名優でした。
映画は、パンフレットの写真にもありますが、非常に華やかな前半と、
戦火やアメリカ公演の大舞台に際する梅蘭芳の穏やかな抵抗の後半と、
まったく色が異なるつくりとなっています。
そのつなぎに、梅蘭芳をバックアップするオリジナルキャラクター、
邱如白(スン・ホンレイ)を上手く狂言回しとして入れることで、
前半と後半で役者が変わることを(当然似た人物を使っているのですが)、
抑えており見やすい印象を受けました。
往年の梅蘭芳を演じる、レオン・ライの無表情がよいです。
「芸を極めるものは孤独でなければならない」
という、(おそらく)作品のテーマに沿って、舞台を降りてもキャピキャピ
していた若年から、「舞台を降りたら一人の男」に、変化してゆく過程、
階段の上から見下ろすシーンがいくらかあるのですが、どれも口の端があまり
動かず、目の色も変わらず、映画が進むにつれてどんどん孤高になる空気を、
こまやかに演じている気遣いが感じられました。
本作は『覇王~』に比べるとハードな恋愛など感情の動きが乏しく、
宣伝媒体の美しさに比べて通してみれば一見、地味な出来に仕上がっているかと思います。
ですが、意識しているのかしていないのかは分かりませんが、『覇王~』と
同様、梅蘭芳と対象の位置に邱如白を置いた構成として捉えると、そこには
かなり激しい動きがあると思います。
梅蘭芳が動から静へと心が静まってゆくのに対し、人生をかけて彼を支え、
手段を問わず冷徹な判断をくだしながらも最後には、
憤り、悩み、絶望する動的な変化を見せる邱如白という人物の姿は、
カメラこそ梅蘭芳に向っているけれどもその影としていつも傍にある、
二人を同時に見ることで改めて、名優・梅蘭芳の生涯が浮かび上がる構造に
なっているのではないでしょうか。
歳をすこしとったせいか、丸メガネのインテリ・邱如白という人物の見せる
人間臭さを好もしく思います。「ダメな文化人」そのものの見かけですし
ほんとうはそこまで強くないのに、壮絶な喧嘩別れをしながらも、義兄として
手を差し伸べた梅蘭芳を拒絶した時の目、まったく強くないんですね。
とても弱っちい往年の姿です。ひどく情けない老いの姿です。
でも弱い彼がいるからこそ、梅蘭芳の強さが分かるのだと思います。
日本人として見なければいけないところは当然あるのですけれども、
まずそっちへ目を向けてしまう、これは人間を濃密に考えて作っているから
出来ることなのかな、と思いました。