「保存て何?」
再度アーツ・アンド・クラフツを訪れた後に、一緒に行った
友人の問いかけた言葉に深く考えさせられていました。
イギリスの、ウィリアム・モリスらが目指したことと、
日本の、柳宗悦が目指したことの違い、というものについて
つれつれ述べていた時です。
私は、モリスらの活動の目的は、あくまで技術の伝承、
伝統の技術を使い現在有益なものを作ること、つまり思考の方向性としては
未来に向っている、ととらえています。
これに対して、柳宗悦たちは、民間に伝わる技術ではなく、無名の作家たちの
製作したモノ自体に興味の方向性が向っている、つまり、作るという現在から
未来にかけての活動ではなくて、あくまで過去のモノに対して視点がむいている、
と捉えることができます。
柳宗悦たちは昔のモノ自体を保存しようとする目的が、モリスたちとは
全く違うね、という話をしていた時、先の友人の問いかけが現れたわけです。
彼女が訊ねたいのは、「保存の方法」ではなくて、
「保存の意義」についてでした。
何故人は、過去のモノをとっておきたがるのか。
どうして過去のモノをとっておくことは、意義があるのか。
過去のモノをとっておこうと考える人は、何を持ってそれを正当化するのか。
誰のためにとっておくのか。
(言葉で誤解を与えてしまっていたら申し訳ありません。)
大意としてはこうしたことを彼女から問いかけられ、
まだ回答が出ないままもどかしい指で文を書いています。
ただ、美術のことだけについていえば、保存することの奥底にあるものは、
「個人の美意識」
突き詰めて言えばこれだと思います。
たとえばブリジストン美術館の所蔵品が「石橋コレクション」であるように、
誰か一人の、力を持った個人が、
「後の人にも自分の感じた美しさを感じて欲しい!」
と思うところが保存運動のスタートだと思います。
個人をスタートラインに据えると、柳宗悦たちはモリスの影響を受けたとは
いえ、それが自分の感覚に適合した上で、「価値がある!」と強く思った
からこそ、全国を行脚して木喰の像たちを発見したり、大津絵や李朝を非常な
熱意で集められたのだと思います。
当然、単なる個人の思い込みではなく、そこには美術を通して彼ら一人ひとりが
学んだ美意識と言うものが人に通じるものがあったからこそ、今にも残っている
ということは重要ですが。
では、何故昔の人の美意識が現代にも通じるのかな、という問いがのそのそと
ここで出てきました。
で、民藝運動で柳たちが示したものを、私たちはどういう感覚を持ってキャッチ
しているのかな、と考えると、実は、「美しい」と感じた時点でもう彼らと
同じ感覚を持っている、つまり彼らは非常に先鋭的な考え方をしていた、という
ことがやっと実感できました。
後世に残る理由は、先を見ないで先を捉えるという感覚にあったのかな、と
つれづれ考えていました。
言いたいことが多すぎるのですが、うまく文にできません。うう。
再度アーツ・アンド・クラフツを訪れた後に、一緒に行った
友人の問いかけた言葉に深く考えさせられていました。
イギリスの、ウィリアム・モリスらが目指したことと、
日本の、柳宗悦が目指したことの違い、というものについて
つれつれ述べていた時です。
私は、モリスらの活動の目的は、あくまで技術の伝承、
伝統の技術を使い現在有益なものを作ること、つまり思考の方向性としては
未来に向っている、ととらえています。
これに対して、柳宗悦たちは、民間に伝わる技術ではなく、無名の作家たちの
製作したモノ自体に興味の方向性が向っている、つまり、作るという現在から
未来にかけての活動ではなくて、あくまで過去のモノに対して視点がむいている、
と捉えることができます。
柳宗悦たちは昔のモノ自体を保存しようとする目的が、モリスたちとは
全く違うね、という話をしていた時、先の友人の問いかけが現れたわけです。
彼女が訊ねたいのは、「保存の方法」ではなくて、
「保存の意義」についてでした。
何故人は、過去のモノをとっておきたがるのか。
どうして過去のモノをとっておくことは、意義があるのか。
過去のモノをとっておこうと考える人は、何を持ってそれを正当化するのか。
誰のためにとっておくのか。
(言葉で誤解を与えてしまっていたら申し訳ありません。)
大意としてはこうしたことを彼女から問いかけられ、
まだ回答が出ないままもどかしい指で文を書いています。
ただ、美術のことだけについていえば、保存することの奥底にあるものは、
「個人の美意識」
突き詰めて言えばこれだと思います。
たとえばブリジストン美術館の所蔵品が「石橋コレクション」であるように、
誰か一人の、力を持った個人が、
「後の人にも自分の感じた美しさを感じて欲しい!」
と思うところが保存運動のスタートだと思います。
個人をスタートラインに据えると、柳宗悦たちはモリスの影響を受けたとは
いえ、それが自分の感覚に適合した上で、「価値がある!」と強く思った
からこそ、全国を行脚して木喰の像たちを発見したり、大津絵や李朝を非常な
熱意で集められたのだと思います。
当然、単なる個人の思い込みではなく、そこには美術を通して彼ら一人ひとりが
学んだ美意識と言うものが人に通じるものがあったからこそ、今にも残っている
ということは重要ですが。
では、何故昔の人の美意識が現代にも通じるのかな、という問いがのそのそと
ここで出てきました。
で、民藝運動で柳たちが示したものを、私たちはどういう感覚を持ってキャッチ
しているのかな、と考えると、実は、「美しい」と感じた時点でもう彼らと
同じ感覚を持っている、つまり彼らは非常に先鋭的な考え方をしていた、という
ことがやっと実感できました。
後世に残る理由は、先を見ないで先を捉えるという感覚にあったのかな、と
つれづれ考えていました。
言いたいことが多すぎるのですが、うまく文にできません。うう。